誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに - 中島みゆき「野ウサギのように」

恋というものは、人によって千差万別、

また同じ人のする恋でも、その時々で

入れ込み具合など、違うことと思います。

 

私は時たま、

ものすごく嵌まり込む

片想いってのをやらかします。

で、そういう時はたいてい、

相手の男に影響を受けて、

何かを新しく始めたりします。

 

海外旅行をするようになったのも

ちょうどそれに当たることは、

以前、このブログに書いた通りですが、

頻繁に観劇をした時期もあったし、

しばらくサボっていたピアノを

また頑張り始めたことも。

このブログを始めたのだって、

正直、そういうことなのです。

 

しかし、私はずっと独り身ですから、

影響を受けたところで、

まったくもって私のひとり相撲。

 

 

 

はたから見れば、

なんと空しいことか。

 

 

 

いや、自分でも空しい。

 

 

 

恋に破れた後で

すっぱりとやめてしまえれば良いけれど、

すでに始めたことを、恋抜きで

だいぶ気に入ってしまって

やめられないことが多く、

しかしそのせいで、

いちいち忘れたい人のことを

思い出してしまう。

 

 

 

世話がない。

 

 

 

世話がないという言葉の

なんとぴったりなことか。

 

 

 

とはいえ。

 

そうやって受けた影響によって、

自分の人生は少なからず変動する。

それが今の自分を形作っており、

それはとても、ありがたいことです。

 

 

 

私は、昔やっていたTV番組の

オーラの泉」を毎週見てました。

美輪明宏さん、江原啓之さんに

司会である国分太一さんの3人が

毎回ゲストを迎えます。

江原さんの霊視を軸に、

美輪さん江原さんの、

ありがたい説法を聞く番組でした(笑)。

私の人生哲学は、

そこで培われたと言っていいくらいに

ハマっていた番組です。

 

そんな私が思うに、

多分恋愛というのは、

上の人々が

(とりあえず神様と思ってください)

私の人生に手を入れる方法として

利用しているんだろうなと。

 

考えてみれば、

恋愛感情や性衝動がなければ、

人間というものは、

自分と異なる「他人」と

それほど近しくなることが

なかなか、ないように思います。

 

親友には許せても、

恋人には許せないことが

数多くあるのは、

やはりその「密接度」に

明らかな違いがあるから。

 

 

 

自分と異なる人間と密に関係し、

影響を受けることは、

自分が跳躍的な変化を遂げる

数少ない契機。

 

だから、

男に惚れるたびに影響を受けて

何か始めてしまうことを、

自分では一応ポジティブに考えています。

 

そんな自分なので、

みゆきさんの「野ウサギのように」

という歌が、とってもよくわかる。

十八番なんでございます。

 

 

あたしの言うことは 男次第

ほらね 昨日と今とで もう違う

悪気のない人は みんな好きよ

“好き”と“嫌い”の間がないのよ

思いも寄らぬ女になって

変わったねって 

哄(わら)われるだけ

野ウサギのように 

髪の色まで変わり

みんな あんたのせいだからね

 

中島みゆき

「野ウサギのように」

 

 

しかしだからと言って、

このまま独り身の片想いを続けようとは

さらさら思っておりません。

念のため。