1. 二時間ドラマには、何故スナックの女たちが頻出だったのか。 -気付いたら、ゲイだった

幼いころから、好みが妙に女の子っぽい、

というのは、ゲイあるあるのひとつ。

もちろん、そうでない人も

たくさんいるようですが、

僕なんかはまさに、

そのあるある側のほとりを闊歩する

典型的な幼稚園児でございました。

 

世代的に代表格に挙げられる、

セーラームーンは言うもさらなり。

おもちゃ箱にはスティックだかロッドだか

その手のものが入っておりました。

一方で、友達に見せられてもウルトラマン

さっぱり面白さがわからなかったけれど、

オーレンジャー(当時の戦隊モノ)は好きで、

その類のおもちゃも同居していたはずです。

もしそれがなかったら、親は本当に

僕の将来を心配していたことでしょう。

(実際心配して正しいわけですが)

 

もちろん、ものごころつくか否かの頃、

好みを隠すなどという発想は一切なく、

幼稚園では当たり前のように

ラブミーチェーンをキメまくっていました。

でも残念なことに、セーラー戦士役は

女の子たちが全部かっさらってしまって、

いつもタキシード仮面にさせられていました。

薔薇なんて好きじゃないのに…薔薇だけど…

 

得てしてそんな風に幼稚園では、

女の子たちと遊ぶことのほうが多くて、

おままごとばかりしていたような記憶です。

 

ジェンダー的に?と言えばよいのか、

女性への憧れも当時から強くて、

長ズボンを頭に被って、

私の長い髪を見ろだのと叫びながら、

歌舞伎の毛振りのようにぶん回す、

なんてことは日常茶飯事でした。(憧れ…?)

 

身体がどうとか他人からどう見えるかとか、

その辺りには頓着なかったので、

かわいい服は一切着たがりませんでしたが、

「~だわ」「~なのよ」といった

女性的な語尾が好きで、

しょっちゅう使っていたせいでしょう。

お兄さんから聞いて知っていたのか、

幼稚園の友達からの年賀状に

「オ〇マか?」と書かれたことを、

はっきりと覚えています。

それを見た母親がなんとも言えず、

知らなくて良いというようなことを言って

気まずそうにしていました。

 

 

母は私がお腹の中にいる時に、

(いる時にも、のほうが正確かな)

強いストレスを抱えておりました。

当時から、母体ストレス説という

「性指向/自認が胎児期の母親のストレスで歪む」

という主張がまかり通っており、

様子のおかしな私を非常に心配したようで、

「もし女の子になりたいと思うなら、

病院に行かなきゃいけないからちゃんと言ってね」

と、幾度となく母親に確認されました。

 

女の子になりたいとは思わなかったので、

もちろん否定はするわけですが、

自分が男の子っぽくないことはわかっているから、

これが「女の子になりたい」ということだったら

どうしよう、そうしたら僕は病院送り?とか、

好み振る舞いが女の子っぽい自分は、

やっぱり「おかしい」のだろうか?

みたいな不安は、そのたびに感じていました。

 

そんな男の子が結局、ゲイを自認するわけですが、

この一致は偶然なのかなんなのか、いずれにせよ、

不運といえば不運なのかもしれません。

「性指向/自認」と書きましたが、

当時この区別は、全くもって

浸透していなかったはずなので、

母も「女の子になりたいのかどうか」という

訊き方をしていたのでしょう。

今では母も、その違いをよく理解しているので、

時代も変わったものです。

 

 

 

それにしても当時を振り返ってみると、

「ほとんど飲みにも出ないというのなら、

 どうやってその

(ババア)クオリティを保ってるの?」

と今になって言われる理由も、

なんとなくわかる気がしてきます。

幼稚園時代に培われたともなれば、

すずめ百までなんとやら。

 

これはどちらかというと小学生の頃ですが、

母親が読んでいた別冊マーガレットとか、

Cookieなどの少女漫画誌が、

(これらは当時は今より大人っぽかった)

毎回楽しみで仕方がなかったし、

昼下がりの二時間サスペンスとかも

日課のように観てましたからね。

片平なぎさ賀来千香子名取裕子

かたせ梨乃、木の実ナナ山村紅葉(笑)...

 

主役ばかりでなく、端役も大切、

スナックで働く女は外せません。

刑事が話を聞きに来た時の彼女たちは

必ず安っぽく不機嫌そうで、

その擦れたあしらい方は、

やはり勉強になりました。

 

ちなみに申し訳ないけれど、船越さんには

ぜんっぜん興味ありませんでした。

 

 

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