8. そんなため息、TVドラマでも見たことない -気付いたら、ゲイだった

ある日、夕食時に会社から家に帰ると、

母の様子が、明らかにおかしい。

 

他人に聞かせることが目的かのように、

強く短く、吐き切るようなため息。

それを、何度も何度も繰り返すのです。

食事中、のべつ幕なしにその状態ですから、

当然、大丈夫かと声を掛けるのですが、

返ってくるのは生返事だけ。

おかしすぎる。今まで様々な精神状態の

彼女を見てきたけれど、

こんな様子は見たことがありませんでした。

 

食事を終えて台所に立っても、

ため息のインターバルは一向に変わらず。

話を聴きに、横に立つ僕。

その日父は不在でした。

どこかで何となく勘付いていた僕は、

僕に関することなのかと聞いてみました。

この時初めて、

母は一切の返事をしませんでした。

ここで僕はすべてを悟り、

後で部屋に来てほしいと言って、

先に部屋に入りました。

 

 

 

「僕がどういう人を好きになるかってことだよね?」

部屋に来た母には、こうして話を切り出しました。

 

 

 

僕は、大学2年から3年間、駅のコンビニで

早朝バイトをしていました。

マネージャーもバイト仲間もみんなよい人たちで、

融通も効かせてくれる働きやすい環境でした。

早朝メンツは僕以外はみな女性で、

何人かにはゲイだとカミングアウト、

行ってみたいというので二丁目に

連れて行ったこともあります。

日本の通称を持つ在日韓国人

韓国国籍の韓国人、中国人、

韓流ドラマが好きな純日本人。

そして僕。なんでしょう、この並び。

 

そしてさらに驚くべきことにその店舗には、

僕を含めてゲイが当時3人もバイトしていました。

しかも皆午前中のシフトに入ることがあったので、

ごくたまにですが、3台のレジすべてを

我々オカマで埋め尽くすという事態も発生。

誰も誰のタイプでもなかったことは、

残念というべきか、不幸中の幸いというべきか。

 

そして僕が大学4年になったとき、

大学に上がった妹も、

この店舗でバイトするようになります。

初めは別のところを探していたのですが、

理系学生で大学自体も遠く、

入れるシフトがかなり限られていたので、

融通が利き伝手も効く、僕のいる店舗くらいしか、

勤められるところがなかったのです。

兄弟で、というパターンは実は初ではなく、

働きやすくみんな仲の良いその店舗では、

そんなことも充分あり得る雰囲気だったのです。

 

僕はその後、就職でバイトを卒業し、

妹だけが残って続けていたのですが、

事件はここで起こりました。

 

例のゲイ3人衆のうちの一人、

彼は僕が働き始めた当初は大人しかったのですが、

僕とゲイトークをするようになってから、

だんだんと頭角を現していき、妹が入る頃には

歩くカミングアウトにまで

成長を遂げてしまっていました。

そして妹が、あろうことか、

その歩くカミングアウトに対し、

「うちの兄、そうじゃないかと思うんですけど…」

と、相談を持ち掛けてしまったのです。

 

すっかり忘れていたのですが、

僕が中学生の頃だったか、

妹が自分の部屋に用事で入ってきた時に、

ノートPCにエロサイトが

表示されたままで放置してあって、

ん?今の角度、もしかして画面見えた?

と思ったことがあったのでした。

どうやらその時から、

妹はそうではないかと疑っていたらしいのです。

 

さて、そんな相談を受けた、歩くカミングアウト

居直って、妹に対し丁寧にこう答えました。

 

 

「そう…まだ家族には言ってないのね。

 本人が言うまで、そっとしておいてあげて。」

 

 

 

はい。やってくれちまいました。

アウティングと言って差し支えないでしょう。

この事実を抱えきれなかった妹は母に暴露、

そして事実を抱えきれず、

しかし誰に言う当てもない母は、

ため息を止められなくなった、と、

こういう経緯だということが、

母の口から伝えられました。

 

僕にはごまかす気は一切ありませんでしたので、

というかここまで来たらごまかしも白々しいので、

その事実に偽りはないことを白状しました。

 

あまり細かい会話を覚えていないのですが、

お嫁さんが来ることはないんだね、

孫ができることもないんだねと言って、

さめざめと泣いたということだけは、

さすがに忘れることができません。

 

母の名誉のために、世の中にはたまに、

カミングアウトを受けた母親が泣いて、

それは本人が

苦しかっただろうと思ったからだとか、

あなたは変わらず息子だとか、肯定的な

反応が返ってきた、というような

美談は意外とありますけれども、

うちの母の場合は、自分の家族、つまり

両親兄弟とまともに一緒に暮らしたことが

なく、そして結婚後も家族(義母)に

苦しめられて来た人なので、

息子のお嫁さんや孫という

新しい家族ができる幸せをも

断たれたということには、特別な思いが

あったのだろうと想像します。

 

だからもし家族にカミングアウトするとしたら、

ビアンの人と子供を作って、

そのカップルと3人で、

子供を育てることになりました、とか、

里親として彼氏と一緒に

育てることになりました、とか、

そういうきっかけくらいかなぁ、と思っていた、

そんな算段はまったく崩れ去り。

つまり、あなた(たち)の

孫に相当するような存在ができるのですよ、

という知らせとともにだったら、

どこか罪悪感が和らぐかもしれないと

考えていたのですね。

 

しかし、この時の僕は意外なことに、

罪悪感とか、気まずさとか、そんなものは

ほとんど感じていませんでした。

 

 

かわいそうな母。

 

 

なんて他人ごとなんでしょう。

かわいそうだと思ったのです。

 

そしてもっと悪いことに、

そうだ、あの本やこの本で勉強してもらおう、

と思いついた僕は、「嬉々として」

隠し持っていた歌川さんの漫画、

野原くろさんのミルク、

にじいろライフプランニングの本などを

持ち出してきて、これ読んでみて、

ここに置いておくから、と告げたのです。

 

 

 

母に対して、「僕のこと嫌いなんでしょ?」と

決死の覚悟で(なのか記憶は正直ないのですが)

母に問い、母との和解が成立したあの日から、

僕にとっての母とは、どちらかといえば

守られる存在というよりは、

対等、あるいは守る存在に切り替わりました。

なぜそういう風に転換したのか、

理屈で説明することはできませんが、

というかもともと、母に守られたいだとか、

わかってほしいと思っていたかどうか、

正直そこから怪しいのですが、

いずれにせよ、本を勧めたこの時の僕は、

僕のことをわかって欲しいという気持ちを

一切持っておらず、ただ単に、

自分の存在をきっかけに母が

知らなかった世界を勉強できるのではないかと、

そのことにうきうきとしていたのでした。

 

 

それから6年半ほど経ちますが、

母や妹と性や恋愛の話はあまりしません。

ゲイ界隈の話は、家族全員で

マツコ・デラックスが好きなこともあって

たまーにしますが、その程度。

初めは、僕のほうが、まだ事実を

受け入れられていないのではないかと

身構えているところもあったのですが、

今は、単に気恥ずかしいから話さないというだけ、

おそらく自分がノンケに生まれていたとしても、

そういう話はしなかったのではないかと思います。

 

 

ちなみに、父はまだ知りません。

父は男にストーカーまがいのことを

された経験もあると聞いています。

さすがにそろそろ偏見は

持っていなさそうとはいえ、彼に

受け入れる度量があるとは

ちょっと考えにくいですし、

知ってほしいという気持ちは

微塵も持ち合わせていないので、

バレない限り言わずに終えよう、

と思っています。

 

あんまり人生を揺さぶっても、気の毒ですからね。

 

 

前の章を読む:7. トキかライチョウか、はたまたオオサンショウウオか

次の章を読む:9.  いまのきもち