良いお年をお迎えください 6th. - 中島みゆき「産声」

もはやこのブログも、年末の振り返り記事を

年一でアップするだけの場と化しております。

特に今年はあまり書く気が起きないまま、

続けてきたこの習慣を失くすのも勿体ないなぁと

賞味期限の切れたもみ海苔をもしゃもしゃと

鷲掴みで食べながら書き始めたわけですが。

 

でもこうして定点観測的に振り返りを残していると

発見があるなぁと、ネタ探しで去年の記事を

読んだところで気が付いた。

去年の振り返りでは、大学生くらいの頃から

十年以上続いていた、「頭の中で自分を殺す」

という妄想癖をやめることを、

翌年の目標に掲げているんですが、なんと、今、

それを読むまでそのことをすっかり忘れるくらい、

その習慣が消えているではありませんか(ニッコリ)。

 

今年、何度かその妄想をした記憶は確かにあります。

その時は、あーもうやめるって決めたんだから!と

思ったりしたんですが、妄想を打ち消そう、という

努力をしたつもりはあまりないままに、

気付いたらなくなっていた、という感触。

 

「変わりたい」と本気で思ったときには、

既に変わり始めていたのではないかと

思えるような、そんな変わり方。そして、

そんな変化というのがちょうど今も

起き始めている、なんていう出来過ぎた話を

ちょっとここでさせてもらいましょうか。

 

 

 

個人的にこの5~6年というのは、

仕事が忙しくて、仕事と習い事と家事だけで

日々が過ぎていく時期の方が長くて、

そういう人生を過ごしていると本当に

友達が少ないし増えないのですが、

合間にふっとできる暇な時期にも、

特にさみしさとかつまらなさとかを

覚えることは、さしてなかったように思います。

できていなかった仕事の勉強をするとか、

習い事にもっと時間を割くとか、

そういうことに勤しんでいる間に、

また忙しくなる。その繰り返し。

 

ところが今年の秋冬は、そうではなかった。

幅広く色んな人と遊び回っているような人との

縁がきっかけだったようにも見えるのですが、

いずれにしても、なーんだかさみしい。つまらない。

うん、まぁ違うさみしさもあってそれがだいぶ

手伝ったところもあるけれど、それは置いといて。

そして、「そういえば自分って、もともとは

オープンマインド()な人間だった・・・?」

ということまで、遡って思い出す始末。

 

というのも小学2年生までの私は、

誰とでもけっこう仲良くしてたし、

自分から積極的に関わりに行くタイプ。

それが小学3年生のクラス替えで、

特に男子からの扱いが変わったことで、

人との関わりを忌避するようになってしまい、

それを約四半世紀もの間、

引きずってしまっていて、しかもそのことを

すっかり忘れてしまっていたのでした。

 

しかしここへ来て私は初めて、

多分人生で初めて、本気で

「オープンマインドになりたい。そして

 そのための自信が欲しい!」

という願いを持ったのです。

職場の、顧客環境へ接続するために

一部の人だけが入室を許可されている作業室で。

(特に意味はない)

 

 

で、そんなことを友人と話していたら、

MBTI診断やってみたら?とのサジェスチョン。

何度かやったことあって、ブレは多少あるけど

基本的にはINFJなんだよねーと言いつつ、

その場でやってみたところ、出た結果はENFJ

頭の I E は、内向から外向への変化でした。

えっ? 変わりたいと思ってるのに、

診断結果はもう変わってるんだけど・・・

 

 

なんということでしょう。

 

全くのノープランだったのに、今年もちゃんと、

この話題にぴったりなみゆきさんの曲を、

思いついてしまったではないですか。

 

 

「産声」という歌は、

中島みゆきさんの夜会工場のテーマ曲。

すみません、長くなるので夜会も夜会工場も

ここでは説明しないのですが、

みゆきさんの夜会においてよく扱われるモチーフが

自分の中で抑え込み忘れてしまっている

 自分の過去を呼び起こし、そこから解放される

というもの。

「産声」はそれがそのまま歌になっています。

 

忘れてきたもの何かある 捨て去ってきたもの何かある

どれも都合(たや)良(す)く消え去りはしない

どれも都合(たや)良(す)く呼び戻せるはずもなくて

 

自分の中で抑え込んでいる記憶は、

多くはそれが自分にとって都合の悪い、

思い出したくない痛みを伴うものだから

仕舞い込んで、なかったことにしている。

いわゆる「トラウマ」はその強烈なものですが、

そんな強いものでなくても、特に幼少期は

その後に影響を与える出来事というのが

多分いくつもあるはずなんですよね、感覚的に。

 

一見なかったことにできるほど奥に仕舞い込むから

容易には思い出せないし、かといって未消化だから

そのままの形で残り続けてしまう。

何かきっかけがないと、引っぱり出せない。

けれど、他人とのかかわりの中でそのきっかけは

なかなか見つけることができない。

 

誰かが私に問いかける 何びとであるか問いかける

聞きたい答は既(すで)に決まってる

私が属する国の名を聞きたがる

「産まれは何処(どこ)の国」 「心は何処(どこ)の国」

それだけで聞き終える 何もかも聞き終える

 

属性だけで人は人を語りがちだから、

とここでは歌われていると。私は思っています。

それによって自分自身すら、

属性を理由にして自分を理解してしまう。

 

それに対抗して、過去を解放する方法として

ここで提案されているらしい方法のは、

「人間は、みな同じところからスタートしたはずだ」

ということを思い出そう、ということ。

夜会工場でみゆきさんが産声を歌うとき、

どの国の赤ん坊も、産声の音程は全く同じ高さ、

Aの音である、という前口上が述べられました。

 

誰か私のために あの歌を歌ってください

まだ息をするより前の 産まれながら知っていた歌を

誰か私のために あの歌を歌ってください

産まれくる総ての人が 習いもせず歌える同じ歌

誰か私のために あの日々を教えてください

何度でも歌は始まる 始まりの音が思い出せたら

 

属性は、基本的に一生変わらないものですから、

それを理由にするならば、変わることはできない。

そのままでは、「変わりたい」は、

今の自分を否定するということでしかなく、

本当に変われるとは思っていない、

というか、思えないですよね。

 

でも、何かきっかけがあってそうなったのであれば、

話は大きく変わってくる。それが理解できれば、

どうしてそうなったのが、どうすればそうでなくなるか、

その発想の中で、疑いなく、変わることを目指せる。

そして、その時には既に「変われる」と思っている。

 

ついでに、完全に今の自分の感覚だけ言いますが、

もし「それ」が一番最初からの自分だった場合は、

多分、そこから変わりたいとは、本気では

思わないんじゃないだろうか、と思ってます。

それが自分に一番しっくりくるはずだから。

 

 

 

つい1週間ほど前、私は英語の集中コーチングを

受講することを決め、即申し込みをしましたが、

それは、取り組み始めていた転職活動で、

期待したよりも、今の延長線上の仕事しか

できないかもしれない、と感じ始めていた矢先、

思い切って話しかけた自社の執行役員

期待を大きく超える話をうかがえて、

この人の下で仕事ができれば

この会社では無理だと思っていた成長が

できるんじゃないかという希望を持ち、

引き抜いてもらうためのアピールとして

英語が使えることが有効そうだ、

そして暫く大きい仕事が入らなそうな今が

集中できるまたとないチャンスだと思ったから。

 

少し前までの自分だったら、声掛けたら

良いことがあるかもしれないと思っても、

結局声をかけなかったはず。

でも、今やらないといけない、という

切迫感も手伝って、違う自分を発揮して、

そこから自分の人生が別の方向へ

確実に動き始めている。

本当に変わりたいと思った時に

チャンスが巡ってきてくれたのは、

人生の常なのか、奇跡的なラッキーなのか。

私は前者だと信じています。

 

もう一度産まれることが もう一度あったとしても

時は戻らない 続きを編むだけ

かなうなら あなたと

引用:中島みゆき「産声」

 

 

 

※オープンマインド (open minded)は、

 自分と異なる考えを受け入れる、

 という意味が主のようですが、

 互いの違いを楽しめるかどうかが、

 人との関わりの幅を決めている、

 特に自分の場合は

 それが顕著であるという考えから、

 この単語で表現することを選んでいます。

変わっているのは人間の方 - 中島みゆき『世界が違って見える日』

みゆきさんの新しいアルバムが、

3年ぶりにリリースされました。

コロナ禍下の長い沈黙を経て発売された

今回のアルバム、やはりいつも以上に

特別な位置づけになることは必定でしょう。

 

今回は、近年(と言っても2,30年ですが)

には珍しく、歌詞カードにあとがきと、

作者註が載っています。

みゆきさん本人がどう考えてこのアルバムを

発表したのかを知ることはできないとしても、

これだけ明確な「コロナ禍」というトピックが

関係ないことはあり得ない。

もちろんみゆきさんのこと、

「コロナ禍で苦しいけどみんなで頑張ろう!」

みたいな単純さの対極に居る人ですから、

容易には受け取れませんが、

あとがきや註釈はこのご時世、いつもよりも

「受け取ってほしい」と強く思っていることの

表れではないかと感じています。

 

たった15年程度のにわかファンながら、

その思いを探りたくなるのが人情というもの。

「コロナ禍」という補助線を頼りに、

アルバムを通しての所感をまとめます。

斬新な読みができているわけではなく、

当たり前のことを言っているに過ぎない

可能性に躊躇いもありますが、

それでも自分の受け取り方が、また誰かの

補助線になり得ることを期待して

書いてみようかと思っています。

 

 

1.後半を夜会曲でまとめたアルバムに似た構成

 

まずは曲構成の話から。

みゆきさんがアルバムを作るときには、

アレンジャーでありプロデューサーである

瀬尾さんに、すべての楽譜と曲順が

揃った形で手渡されることが、

瀬尾さんの口から明らかになっています。

 

今回のアルバムを通して聴いて感じるのは、

前半と後半で雰囲気が異なること。

特に後半に、夜会っぽさを感じること。

前半はタイアップ曲、提供曲が並び、

体温という軽快で聴きやすい曲もあります。

一方後半の5曲は、

9曲目の「天女の話」は例外としても、

夜会の舞台上で歌うみゆきさんが

想像できる曲調です。

 

 

例えば8曲目の「心月(つき)」は、

みゆきさんの歌う後ろで

別の歌詞を当てているフレーズが

流れます。これは夜会でよく

使われる手法で、本人がインタビューで、

「こういうことをしてもなかなか

お客さんに理解してもらえない」

というようなことを述べていたのを

憶えています。

アルバムには歌詞カードがありますから、

フレーズだけで歌詞のない部分にも

括弧書きで歌詞をつけることで、

理解してもらおうということでしょう。

 

実際に後半に夜会曲をまとめた構成の

アルバムは過去にもあって、

『DRAMA!』『荒野より』『問題集』が

それに当たるでしょう。

LPレコードのA面・B面のようですね。

 

コロナ禍の3年間、みゆきさんは

コンサートも夜会も行っていませんので、

当然後半の曲は夜会に使われた曲では

ないのですが、

これらが今後目論んでいる夜会に

使われる曲なのか、

もしくは、3年間できなかった

夜会の代わりとしての位置づけなのか。

真実が近いうちに明らかになることを

期待しています。

 

 

2.コロナ禍と「距離」

 

コロナ禍の特徴の一つは、

「距離感の変化」であると言えるでしょう。

ソーシャルディスタンスを保つことが

基本所作となりましたし、

不要不急の外出をせず、

会う必要のない人とは、しばらくの間

会わないことが良しとされました。

コミュニケーションは専ら「オンライン」。

物理的距離は遠く離れたまま、

というのが、仕事でもプライベートでも、

ごく普通の世界になりました。

 

今回のアルバムの前半には、

「距離」が感じられる曲が並んでいます。

 

1曲目の「俱に」は、

古参のみゆきファンの方から

「友に」とのダブルミーニングであり、

亡くなった小林信吾さんへ捧げる歌である、

という指摘がなされていますが、

「遠い遠い距離の彼方で」という詞は

亡くなった人との絶対的な距離にも、

物理的距離にも、心理的距離にも

取ることのできるような歌になっています。

 

2曲目の「島より」は、共に生き続けることが

叶わなかった相手から離れ、遠く離れた南の島へ

移り住んだ主人公の心境、

3曲目の「十年」は、

恋をしながらも十年の間、

自ら距離を取りつづけた様子の描写。

いずれも距離を失恋と重ねています。

 

対して5曲目の「体温」において、

物理的距離が0にならなければ

感じることのできないもの、

オンラインでは絶対に伝わらない、

体温「だけがすべてなの」と

歌っています。

 

ちなみに当初は、

自分の体温のことを指している

可能性も考えていましたが、

歌詞カードの右ページ、

英語の歌詞において、

体温は "The Warmth of You" と

訳されており、

「流れゆく移り変わりを

 怖がらせないで」という歌詞は

"The changes in the world

 don't intimidate me with you being there"

と訳されています。

 

 

3.コロナ禍下で一層輝くすべての人の「仏性」

 

コロナ禍の様子を最もストレートに扱ったのは

やはり「噤」になるでしょう。

諸説ありつつも、鳴き声が聴こえないという意味の

ツグミ」という名を持った鳥に、

飛沫が飛ぶからと発話を抑制し、

マスクで口を覆うコロナ禍下の人々を

なぞらえるのは、さすがのメタファー。

終わらない悲しみに途方に暮れる様子は、

終わりの見えないコロナ禍そのもの。

 

その「噤」と、続く「心月」は

伴奏が途切れず連続しています。

(追記:3/13の田家さんラジオに瀬尾さんが

   ゲスト出演、演奏を繋げたのは

   みゆきさんの指示と仰いました)

「心月」こそ、同じフレーズを繰り返す

まさに夜会で使いそうな歌ですね。

「噤みながら逐われ」(「噤」より)、

「心月を捜してる」(「心月」より)。

心月という言葉に関しては、作者註がついています。

それによると、心月は「仏性」と

解した方が近い、とのこと。

仏性とは、一切衆生が本来持っている

仏としての本性、とも書かれています。

 

みゆきさんは一貫して、

愚かで哀しい「人間」を、それでも「信じ」ている

という印象があるのですが、

この「心月」も、照らしてくれる誰かが

存在するというよりも、

すべての人の中の「心月」が実は、

それぞれを照らしていて欲しい、

照らしているはずだ、

ということを歌っているようです。

 

こう捉えると、同じくみゆきさんの

「天鏡」という歌との類似性が見えてきます。

人をあまねく見通す鏡を求めて、

戦を起こして、しかし手に入らない。

その鏡は、「涙を湛えた瞳だ」という詞は、

やはり一人ひとりの中にそれはあるのだ、

という訴えであり、祈りであると思えます。

童話「青い鳥」にも似た構造ですが…

おっと、このアルバムには「童話」という

タイトルの歌があり、さらには詞に

「青い鳥」が出てきていますね。

「僕は青い鳥」という歌も昔出していて、

この歌も青い鳥は、自分の家にいた鳥ではなく、

まさに「自分自身」であると説いています。

 

と、言いつつ次に控えているのは、「天女の話」。

名曲「蕎麦屋」に似た、めっちゃ良い友人の話と

言ってしまえばそれまでですが、

こちらは何とも人間らしく、涙に鼻水満載です。

心月の重厚感ある歌から終曲へつなぐ

緩衝材であると言えますが、

「仏性」とは何か、というのを

みゆきさんなりに表現した歌なのではないかと、

心月の後に聴くと、感じずにはおれません。

 

 

4.夢の京

 

夜会Vol.10「海嘯」の頃から顔を出し始め、

長らくモチーフであり続けた「輪廻転生」が

夜会Vol.18,19「橋の下のアルカディア」で

一旦の終結を見たことは、

最新の夜会「リトル・トーキョー」に

転生のモチーフが表れなかったことから

確実と思って良いかと思います。

では、今のみゆきさんは何を考えているのかと

思っていたところに、

「夢の京」という曲がリリースされました。

 

リトル・トーキョーとは「京」の文字が

被っているだけかもしれませんが、

あの夜会で破壊されたリトル・トーキョーは、

これも作者註で語られた、

「京(みやこ)の設計図」の一つだと

考えても良い気がしています。

 

しかし、リトル・トーキョーは破壊されました。

壊れたリトル・トーキョーでみゆきさんが

エンディング曲として歌うのは、

「放生」であり、「さあ旅立ちなさい」。

「夢の京」とは反対方向を向いている……?

 

ここでやはりあてにしたいのが、作者註です。

心月は解釈の難しい言葉ですから、

註釈があってもそれほど不思議ではありませんが、

夢の京、という言葉に関しては、

言葉自体が難しい、ということはありません。

ではなぜ……と考えてもう一度註釈を読みます。

諦めの眠りの中で、京へ帰ろう、という意味にも

取れるだろうけれども、みゆきさんは、

なくした京の設計図を持ち続ける夢は

誰にも奪えない。未来を恐れる必要はないと

歌いたいと述べています。

 

こういう説明を、

今まで一切してこなかったみゆきさんが。

あの、歌の解釈を狭めるのは

もったいないと言っていたみゆきさんが、

わざわざ、二つの解釈の可能性を書いた。

みゆきさんがこう歌いたいと、

書いたそのままにだけ受け取ることも

また一つだと思います。

でも、そう受け取って欲しいなら、

歌詞で分かるようにすることもできそうだし、

註か、あとがきか、もう少し

違う書き方になりそうな気がする。

 

これはとても微妙で繊細な解釈が

求められそうな問題ですが……

今の自分の仮の捉え方を述べますと、

現在観察できる事象としての前者、つまり

夢に逃げてしまっている人々がいることと、

みゆきさんの祈る後者、現実に覚醒しつつ

夢として希望として失くさずにいることの、

二重写しの歌として聴かれること、

そしてその両者の中での揺れを、

それぞれの思う配分で感じながら、

希望としての夢に傾けていけることを

期待して書いているのではないか。

 

リトル・トーキョーは、

眠りの中の夢に近いものだった。

それは、もはや現実には壊されてしまっている。

アルバム『CONTRALTO』の

「おはよう」という曲、

壊されたという現実に目覚めよ、という

歌も思い出します。

 

『CONTRALTO』とリトル・トーキョーでは

目覚めよ、旅立て、だけだったところから、

では何を力に旅立てば良いのですか、

という問いに答えた。そういう展開だと

現時点では捉えてみようと思っています。

 

 

==========

 

いかがだったでしょうか。

みゆきさんの表現はいつも

そぎ落とされた洗練さで、

時間をかけて自分の中で膨らんでいくものなので

まだまだ発酵不足の状態ですが、

それでもすでに、

3年間待った甲斐があったと

思えるような満足感を受け取っています。

 

パフォーマンスについては触れませんでしたが、

齢70で、ここまで幅広い表現ができるには、

相当の鍛錬もあるのでしょう。

今の自分にはどんな表現ができるのか。

今の自分が表現できる曲はどんなものなのか。

そうした深い追究が想像に難くない。

今回のアルバムは、ハモリも自分で

担当している曲が、珍しく沢山あって

それもまた魅力的なのですが、

そうなった経緯というのも非常に気になります。

 

 

正直コロナ禍は、

世界を変えてしまった、と

みんな思っていると思います。

もしコロナ禍が終わったとしても、

もうまったく元に戻ることはないんでしょう。

「世界が変わった」。それが

多くの人の認識だと思います。

 

それに対して今回のアルバムタイトルでは

「違って見える」という言葉が使われています。

あとがきにも書かれていますが、

世界に絶望する出来事もあるけれど、

世界に希望を持てる出来事もあるはず、と。

アルバムリリースのタイミングから考えて、

ロシアの対ウクライナ侵略戦争

始まった後で、制作されているでしょう。

今まで思っていた「世界」とは

異なる世界が始まってしまったように

感じた人も多かったはずです。

 

しかし。世界は常に流転していて、

そして、世界は常に一貫している。

 

だとすれば、絶望に見えたものが

希望に見えるのも人間の側次第。

 

そんなことを考えながら、

私も私の夢の京を、持ち続けようと思います。

良いお年をお迎えください 5th. - 中島みゆき「Tell Me, Sister」

自分の1年間を振り返るこの、

「良いお年をお迎えください」シリーズ

(なんじゃそりゃ)も、とうとう5年目。

こうなったら10年目まで続けたい。

その頃私は30代も後半。あなおそろしや。

 

とはいえ既にもう上半期のことなど、

憶えてなんかいられないお年頃。

コロナに罹って咳が出続けた3ヶ月とか、

週休0日だった2ヶ月弱とか、

もはやおとぎばなしの領域と化しております。

 

 

 

さて、そんな私の印象に残る今年の出来事は

昨月の高校学年同窓会でしょうか。

連絡を取り合う同級生が0人となってから

かれこれ5年以上経っており、

同窓会にも一度も出席してこなかったので

それこそ5年ぶり、10年ぶりの再会。

私としては、どんだけ変わっただろうかと

その変貌ぶり(主にオジサン化)を垣間見たく

勇んで出かけて行ったわけですけれども、

なんだかみんなあまり変わらない。

つまらないので、お仕事何してるの?と

問われるたびに、

「しがないSEをやっております。"昼は"。」と、

え、夜があるの??と強制的に尋ね返させ、

ゲイバー入り始めて6年目になってしまったわと、

方々に衝撃を撒き散らして参りました。

 

この同窓会には、私が青春を捧げた

初恋の相手も出席しておりました。

卒業して2年ほどは会っていたのですが、

確か彼が留学する時、私には教えてくれず

人づてにそのことを知ったことで、

こちらから連絡をし辛く感じてしまい、

一方向こうからも連絡がないまま、

私が格安SIMに変えたことでアドレスが変わり、

かつ何故かその時に電話帳が吹っ飛んで、

そのまま縁が切れていました。

 

久しぶりに会った彼は見た目も変わらないうえ、

こちらの言葉に対して常に

まっすぐに受け止めて咀嚼したうえで

丁寧にコメントを返してくれる、という

会話の仕方も全く変わっておらず、

ちょっぴり当時の気持ちが

蘇ってくるような思いでした。

 

そんなほっこりした気持ちを抱きつつ、

私はあることに気が付きました。

そういえば、私が好きになった人の中で

彼は唯一と言っていいくらい、

人としてバランスの取れた、

まともな人だったということに。

彼より後に私が好きになった人はと言えば、

コミュニケーションが得意ではなく

いつも、優しいお兄さん的な人に

くっついて行動していたような人とか、

本人の友達に「気さくすぎる」あるいは

「連絡不精すぎる。返信しなさい」と

文句を言われているような人とか、

酒の力に頼って人に甘えまくる人とか、

必ず何か引っかかるところのある人ばかり。

 

齢三十一にして、ようやく分析できてきた

自分の恋愛傾向は、己の嫌いな部分を

裏返しにしたような極端な人を好きになる、

というもの。

他人に対してどうしても壁を作ってしまい、

素直に振る舞えなかったり、

踏み込んだり踏み込まれたりを避ける自分を

変えたくても変えられず、

その対極にいるような人に、

憧れるように熱を上げてきました。

 

初恋の彼は素直で気の良い人だけれど、

そういう意味では自分の恋愛傾向から

少し外れているような。

あぁそうか。私は小さいころから、

憂いてばかりいたのは変わらないし、

自己嫌悪もしていたとは思うのだけれど、

自分の嫌いな部分を強く意識するようになったのは

ちょうど大学生になったあたりからだった。

そのことを思い出しました。

 

私は妄想が好きで、よく頭の中で

他人とべらべら喋ったりしているのですが、

大学生になってから急に始めた妄想に、

「自分に致命傷を与える」というものがあります。

当初から続いていて一番多いのが、

自分の心臓を突き刺すやり方で、

四方八方から串刺しにしたり、

太い杭のようなものへ落ちて刺さったり、

あと少年漫画っぽいですが、

素手で胸のあたりに手を入れて、

心臓を引きちぎるとかもあります。謎。

あとは首を落とす殺し方も多くて、

ギロチンとか、居合切り(何故)とか。

あと、よくわからないけど吹っ飛んで

骨が粉砕するほど壁に叩きつけられるとか

マイナーなところでは、勢いよく迫りくる双璧に

押しつぶされる、なんてのもあります。

 

ちょうど今その時にやってしまったことで

自己嫌悪に陥ってもそういう妄想をするし、

過去のフラッシュバックで自己嫌悪しても

やります。数えたことはないのですが、

全くやらない日は週に2, 3日くらいか、

昔は覚えてませんが、最近はそんなペースで

ここ十数年ずーっと続けてきました。

続けたというか、続いたというか。

 

 

 

ところで、私は10月から、

ピラティスという趣味を新たに始めました。

声楽をやっていて、いまひとつ声が

背中の方に響かないと感じたことをきっかけに、

母親がこの3年間続けている、

ピラティスに目が向きました。

始める直前までの彼女は本当に不調で、

腰もしょっちゅう痛めて寝込んでいましたが、

今や年に1~2回、軽く(当時と比べれば)

痛める程度。実績は十分でした。

身体の歪み、硬さが声に悪影響を

与えていそうなふしはあったし、

声楽を除いても、頭痛持ちだったりもするし、

身体の改善は望んではいつつも、

良いと思っていた整体も結局効果は一時的で、

より良い整体師探しを検討しつつ、

なかなか着手できていなかった状況でした。

 

母と同じ、腕利きのエデュケーターさんに

今は月2回マンツーマンで診てもらっており、

その解剖学的な知識量と他人の身体に対する感度に

毎度感服しながら通っているのですが、

さきの同窓会の日もピラティスに行きました。

その時は特段は言われなかったのですが、

その次の回で、前回すごく硬くなってたねと

言われて、同窓会の緊張ですかねぇ、と。

実際身体を触って診てもらいながらの会話で、

「同窓会ってそんなに緊張したりする?」

「いやぁ、僕学校っていうものがそもそも嫌いで」

と話したところで、エデュケーターさんに、

「今、学校が嫌いって言った瞬間に、

 (胸とお腹の中間あたりが)柔らかくなったよ。

 TPOあるけど、言いたいこと言うの大事。」

と指摘されました。

そんなことある!?と驚きましたが、

そうかそうか、

よく並べて語られるヨガとピラティスって

ヨガは瞑想で、精神が主軸、

ピラティスはリハビリで、身体が主軸だけど、

結局精神と身体はつながっていて、

どちらからアプローチするかの違いでしか

ないのかもなぁ、なんて、

妙に得心してしまいました。

身体からのアプローチを今後も

続けては行くけれども、

精神の方も同時に変えていかないと、

本当に改善することは難しいんでしょう。

 

 

 

そんなこんなで最近の私は、

いっそ恋は来世にでも期待して、

今は自分を高めるわ、なんて

言いふらしていますけれども、

実際気持ちは過去最高に、とても前向き。

仕事も趣味もめいっぱい時間をかけて学んで、

一つだけじゃない形で力を発揮して、

成果を出していきたいと思えています。

この調子なら例の妄想も、止まるかも。

それによって身体も改善していって、

パフォーマンスが上がって…という好循環を

期待してしまいます。

身に染み付いた、もはや習慣ですから、

一朝一夕とは参りませんでしょうけれども、

頭の中で自分を殺さない、というのを

来年の目標にしてみようか、なんて。

こんなに具体的な目標を

持ったことは初めてかもしれない。

やってやるわよ~!!(唐突なババア)

 

 

 

自分が嫌いだった 何もかも嫌だった

嫌うことで別の自分になれる気分になってた

低い鼻やクセの髪じゃ もしなかったら

一生はどんなにか違うわと憎んだ

~~~

Tell Me, Sister 教えておくれよ

Tell Me, Sister 恵まれたものは何?

Tell Me, Sister 何を真似ればいい?

 

「そのままでいいのに」と

  微笑みだけが残った

 

中島みゆきTell Me, Sister

 

 

この歌、初恋の彼にみゆきさんのアルバムを

紹介して聴いてくれた中で、

好きだな、と言ってくれた歌でした。

「いい歌だよね~」で終わらせずに、

もっと掘り下げる器量が当時の私にあったら

何か違う展開が…ないわね(笑)

 

ではでは皆様、良いお年をお迎えくださいませ。

ハンバートハンバートの歌がとても良いので

最近ハンバートハンバートという

夫婦デュオにハマっておりまして。

主だった歌の作詞作曲を旦那さんである

佐藤良成さんがなさってるんですが、

僕の好みの方向性で良い詞を沢山書かれてて、

かつ音楽もフォーク・カントリー調が多くて

詞との相性がすごく良いんですね。

すごくにわかなファンなので、

作家性とかかなり浅い理解なんですけど、

オミクロン株が猛威を振るっている今、

(僕も罹ってそろそろ完治というところ)

ちょうどよい紹介になるかなと思って

筆を執ってみました。書いてたら10曲という

いささか分量の多い記事になってしまいました。

どれも外せなくて……。

 

 

1.恋の顛末

ハンバート ハンバート "恋の顛末" (Official Music Video)

 

僕がハンバートハンバートを知るきっかけになった歌。

Amazon Prime Video で先行配信されているテレ東ドラマ

「僕の姉ちゃん」のオープニングテーマです。

ドラマがとても味わい深くてよいのですが、

第一話のオープニングで聴いたときに、ん、いいぞと思い、

続いて二話目三話目と毎度聴いていくうちにますます、

ドラマをよく引き立てているこの歌に惹かれました。

それもそのはず、この曲ドラマのための書下ろしだそうで。

 

私の恋はいつも私から

始めるのも終えるのだって

 

ここなんか、ドラマの「姉ちゃん」を見事に表現してるんです。

 

こんな時間はいつか終わる

始めた日からわかってたから

今日は深酒でもしながら

火が消えるのを眺めていよう

 

いやぁ。良い。深酒 “でもしながら” というセンス。

深酒しちゃうんじゃなくて。

自分の気持ちを飼い馴らしている感じ。

振って終わらせた側の余裕ある淋しさとか虚しさに

ものすごくしっくりくる。あとやっぱり「姉ちゃん」ぽい。

ぜひドラマと一緒に楽しんでほしい曲です。

 

 

2.おなじ話

ハンバート ハンバート - おなじ話-グッバイとしまえんver. (Official Live Video)

 

この曲は二人の曲の中でダントツにバージョン違いが多く、

どうやら代表曲のようです。

 

どこにいるの? / 窓のそばにいるよ

何をしてるの? / 何にもしてないよ

そばにおいでよ / 今行くから待って

話をしよう / いいよ、まず君から

 

こんな風に会話部分が殆どを占めていて、

すごくそぎ落とされた詞なので解釈もいろいろできますが、

やっぱりこれは、遺された者と遺した者の歌なんじゃないかと

僕も思います。タイトルでもあり、歌の中でも繰り返される

「おなじ話」というのは、二人の新しい思い出が

生まれ得ない状況だってことだと思うのですよね。

 

何をしてるの? / 手紙を書いてるの

そばにおいでよ / でももう行かなくちゃ

・・・・・・

さようなら ゆうべ夢を見たよ

さようなら いつも同じ話

 

亡くなって49日目あたりなのかな……

ちょうど成仏して行ってしまうところなのでしょうか。

これが代表曲だなんて、渋すぎる。。。

 

 

3.虎

Humbert Humbert - Tora [Official Music Video]

 

又吉さんはハンバートハンバートの大ファンとのことで、

この曲のMVに友情出演されています。

これはまた方向性がだいぶ尖っていて、

自信を失くしたのかプライドが傷ついたのか、

どん底まで落ち込んだ男(作詞・作曲家らしい)が、

人を感動させる歌を作って自分を取り戻したいけれど

まったく作れずに酒に溺れる、というもの。

昭和の文豪っぽいストーリーで、

又吉さんが出演するのもうなずけますね。

 

何を見ても何をしても

僕の心凍えたまま

外は花が咲いていても

僕の庭は冬枯れたまま

 

こんな感じの描写が何度か出てくるのですが、

もうこの表現だけで勝ち確定って感じです。

タイトルの「虎」というのは、歌詞の最後に出てきます。

 

酒だ、酒だ、飲んでしまえ

虎にもなれずに溺れる

 

調べたところ、山月記本歌取りのようですね。

読んでないのであまりわからないですが、

虎になって自分を失ってしまうこともできずに、

自意識に溺れ続けているってことなんでしょうね。

まぁ、虎にはなれないのが人生。

どこかで立ち直らなければ。でも、

こうやってどん底にいる時間もあっての

人生だったりもして。

 

 

4.1時間

1時間  -  ハンバートハンバート

 

これはめっちゃフォークです。別れの一場面の切り取り方が秀逸。

 

夜明けまであと1時間

もうそろそろ行こう

聞こえるのは眠る君のかすかな寝息だけ

・・・・・・

ああ、僕は君を置いて今ここを出ていく

外は雨 音もなく 僕の頬をぬらす

 

どういうシチュエーションなのかちょっと謎な感じが良い。

今日で最後にしよう、と言って夜明けまで一緒にいた?

何かしらの事情で遠くへ行かなければならない故の別れ?

そうでもないような気がするのはこんな部分があるから↓

 

君と出会ったのはたった半年前のこと

もうずいぶん前のことのような気がする

今思えば僕らろくに話もしなかった

時間はいつもあまるほどあったはずなのに

 

しかしそんな謎も気にならないほどしみじみと美しい言葉と旋律。

フォークって、良いよね……と思える一曲。

 

 

5.それでもともに歩いていく

ハンバート ハンバート - それでもともに歩いていく(Official Live Video)

 

今度は友情の歌です。それもカッコ悪い友情。

 

子供のころに憧れた 木の上の小屋と合言葉

落ちこぼれが集まって 親に内緒で冒険する

 

これは映画「スタンド・バイ・ミー」の世界ですね。

確かに子供のころにあれを観たら、めちゃくちゃ憧れそう。

 

思い描いてたものとは全然似ても似つかないけど

足を引っ張りあいながら君と歩いてく

 

友情の歌で「足を引っ張りあいながら」って、

なかなかないでしょうね(笑)。赤裸々というか。

でもなんだかそれが新鮮で、聴きたくなる曲です。

 

 

6.小さな声

ハンバート ハンバート "小さな声" (Official Music Video)

 

一番辛いのは 朝起きること

あれこれ言い訳を考えている

がんばれ あと少し 君なら できるよ

あいつマジ使えない 聞こえてるけど

階段上るごと お腹痛むよ

 

がんばれ って言うなよ 他人事じゃないか

誰か気づいて 気づいて 気づいて

それはまずいよ ってだれか言ってよ

 

これは歌詞を読んでもらうのが一番早いだろう、

ということで半分くらい一気に載せちゃいました。

うつ病は朝が一番辛くて、午後遅い時間になると

少し楽になっていくことがある、

と大学の心理学で学んだのですが、

それっぽい経験が自分にもあるので、

けっこうあるあるなのかもしれないと思ってます。

(僕の場合原因は失恋です。まったく大した話ではなく笑)

 

辛い人の背中を、やさしく押す歌です。

励ます歌っていっぱいあるけど、本当につらい時って、

このくらいの落ち着いた曲調じゃないと聴けなかったり

しますよね。竹内まりやの「元気を出して」とか、

元気すぎて辛いときにはちょっと…とか思ったりして。

薬師丸ひろ子バージョンは別です。あれは聴きたい。

 

ぼくが君なら 背中を 叩くよ

逃げたらいいんだよ

 

 

7.妙なる調べ

妙なる調べ #ハンバートハンバート

 

これはタイトル通り、妙なる調べ(たえなるしらべ)ですね……

すごく歌詞の少ない歌なんですけど、(以下引用で全文です)

僕はこういうの大好きです。

 

だんだん長くなっていく 壁にのびる影

だんだん薄くなっていく 僕たちの影

 

窓の外 なんて美しい色

なんだか足の先の方からなくなっていくみたいだ

 

だんだん細くなっていく 僕たちの火

だんだん遅くなっていく 僕たちの時間

 

何だろう この美しい音

なんだか頭の上の方から聞こえてくるみたいだ

 

だんだん、、、

 

壁にのびる影が長くなり、僕たちの影が薄くなる。

日が落ちていく様子、時間の経過ですが、

人生の日没、ということなんでしょう。

細くなっていく僕たちの火は命のともし灯、

時間が遅くなっていくのは、年齢とともに変わる感覚。

美しい「死」の歌ですね。

 

 

8.ぼくのお日さま

ハンバート ハンバート "ぼくのお日さま" (ライブ映像作品「はたらくふたり Live at Nakano Sunplaza hall」より)

 

この歌を聴いて、僕の中でハンバートハンバート

殿堂入りが決定しました。

吃音症を主人公にした歌のようですが、

実際に吃音を持っていなくても、

共感できる人は一定数いるのではないでしょうか。

言葉を飲み込んでしまう人。飲み込まされてしまう人。

 

ひとことも言えないで ぼくは今日もただ笑ってる

 

このフレーズを聴いて完全に涙腺が崩壊しました。

映像が、心情がありありと浮かんでしまって…

昔月9ドラマで、吃音症を持っている女の子が、

歌ではまったく吃音が出なくて、

本格的に挑戦していく話がありましたね(「ラブソング」)。

 

 

9.永遠の夕日

ハンバート ハンバート - みんなのFOLKへの道 vol.26

↑開始位置調整してあります

 

数か月で別れた恋人が、でも一番好きだった、

髪が白くなるほど歳をとってしまったけど、

それでも君を想い出し…てたら再会した、

という歌。

フジファブリックの名曲「若者のすべて」と

詞のストーリーは似ているけれど、

離れていた期間はこちらの方が圧倒的に長いみたい。

とは言え、内容としてはよくあるっちゃあよくある。

けど、曲と詞のバランスが良くて、

ついつい聴いてしまう感じ。

 

あの日見た夕焼けは完璧だった

今まで見た何よりも綺麗だった

あれからぼくは世界中巡ってみたけど

あんなに綺麗なものは他にはなかったよ

 

夕焼けって、なんだかほんとにずるいですよね。

存在自体があまりに詩的過ぎる。

うちの窓は、墓地と大きな公園の方向を向いていて、

高い建物が遠いので視界が抜けてるんですけど、

夕暮れになると色のグラデーションが本当に綺麗で、

今の部屋で一番気に入ってるポイントかもしれません。

好きな人と見たら、そりゃあ美しく見えるでしょう…

 

こんな歳になった今ぼくはまた君を想う

 

歳とってもこういう気持ちになれるってのがまた良い。

人生いろんなことがあってからの想いってのは、

より複雑で、より深くて、より確かなものなんでしょうなぁ。

 

 

10.さようなら君の街

ハンバート ハンバート - さようなら君の街 (Official Live Video)

 

この歌もまた、王道から少し外れた場面。

最後のフレーズがまんまそれを表しております。

 

いま君をまた忘れよう

 

街とか建物の変化と恋愛の風化を重ね合わせた表現は、

ユーミンの「DOWNTOWN BOY」とか、

(『宝島だった秘密の空地 今ではビルが建ってしまった』)

みゆきさんの「もう桟橋に灯りは点らない」とか、

(『だれも覚えていないあの桟橋は きれいなビルになるらしい』)

いくつか思いつくので珍しくはないと思うのですが、

(思いつくものが偏っていてすみません)

街が「待っていたよ」とか、「もう帰りなさい」とか

語りかけてくるあたりが、一段と優しい歌にしてますよね。

このライブのアレンジはCDリリースされている音源とは

だいぶ違うのですが、僕はこちらの方が好きです。

※追記 FOLK3というアルバムはこのピアノアレンジでした。

 

 

以上10曲。いかがでしたでしょうか。

10曲の中にも結構幅を感じられたのではと思うのですが、

その点なかなか稀有なアーティストだと思います。

色々な歌を書いてくださる方なので、

今後の新曲も楽しみです。

 

では今回はこのへんで。

良いお年をお迎えください 4th. - 中島みゆき「36時間」

2021年も、コロナ禍の1年となってしまいました。

ワクチンのおかげで、

下半期にはだいぶ動きやすく

なったとはいえ、海外には未だ出られず。

社会人になってから、年に1~2回程度しか

行っていなかったけれど、

毎年行くようにしていたのは

行かなくなると行き方を忘れて、腰が重くなって

しまうような気がしていたから。

幸い、フィンランドに移住した

友達に会いに行くという大きな目的があるので、

コロナ禍が明ければ真っ先に

行くと思うけれど、それがなかったらまた

怖くなって行かなくなってしまったと思います。

 

 

習慣というのは、しばらく遠のくと抜けてしまう。

コロナ禍で飲みに行く習慣が

抜けてしまったことで、

スナックが危ない、というような話も聞きました。

緊急事態宣言・まん延防止等重点措置が明け、

11月から久しぶりにゲイバーに入り始めましたが、

1年ぶり、2年ぶりで来てくださるお客様も多く、

本当にありがたいことです。

今は土曜日の枠がそれほど埋まらないので、

入店はじめの2か月以来くらいに高頻度で

入店しています。この2年で少し店の仕組みが

変わっていたりもしたのもあって、

どう動いていいのか

さっぱりわからなくなっていましたが、

ようやくコロナ前の水準には戻ったかな。

とは言うものの、

コロナ前でも大して動けていなかったし、

未だに知らないことも多い、

うまく会話を盛り上げられない場面も多々。。。

こんな体たらくで入らせてもらって良いのかと

悩みつつ、こんな未熟なままでリタイアする

わけにはいかないと、

わがままながら続けさせてもらっている、

そんなこの頃でございます。

 

 

さて。昼職では採用の仕事も兼務していて、

現場社員として学生さんたちの前でしゃべったり、

座談会したりという機会が多いのですが、

年末最後のワークショップでは、

今年の漢字、というお題で自己紹介することに。

皆さん「動」(コロナ太り解消の運動と、異動)

だとか、、、

他は忘れてしまいましたが

それらしい漢字を選ぶなか、

私は、「服」を選びました。

 

昨年からの燃えかけ案件を、2月~3月で収め、

それまでのバタバタが嘘のように、

4月にはすっかり収束。

定時までも仕事がもたずにダラダラするほどに。

在宅で仕事を終えて、適当に夜ご飯を作りながら

あーもうすぐ30歳になるなぁ、

でも何か変わるわけでもないし、いや何か、

変えたほうが良いのかな・・・?

と思っていたところに、

YoutubeMBチャンネルが

シュッとオススメに入ってきたわけです。

そういえば、今着ている服は

ほとんどが20代前半に買った服で、

しかもその中でも気に入っているものは

着倒して捨ててしまい、耐久性のあるもの、

着る機会の少なかったものばかりが残り、あとは

半額セールで買ったような服ばかり。

さすがにこのままではいかん、

30代らしい着こなしを

しなければ・・・ということで、

そのMBチャンネルでオシャレの基本

「ドレス:カジュアル=7:3」だとか

最近のユニクロGUのすごさを勉強し、

御徒町ユニクロに通い詰め、

クローゼットの服を

どんどん入れ替えていきました。

多分、靴や小物も含めると

今年1年で4~50万を

つぎ込んだと思います。

恐らく例年の10くらい。

 

 

服にお金を掛ける、というと思い出すのが、

20歳過ぎくらいのある日の買い物です。

丸井で服を見ていて、

たまたま見ていたブランドの

ショップ店員さんにうまくコーディネートされて、

総額10万の洋服ひと揃いを購入しました。

大学生の分際で10万ですから、相当のものです。

でも、手持ちの服とうまく合わせることができず、

その組み合わせで数回着た後に

二束三文で手放してしまいました。

 

まぁ、その店員さんは

うまい人だったんだと思います。

コーディネートもそうだし、

買う流れに持っていくのも。

でも一番の要因は、

その時の自分に「自信がなかった」

ということなんだろうなと思っています。

ちょうどそのころ、好きになりかけていた人に

ご飯のお誘いを掛けたら

即メールアドレスを変えられるという

出来事に見舞われ、

一か月ほどの半鬱期間を抜けたところ

だったのです。要は、変わりたかったんですね。

そこを漬け込まれて買った洋服だけど、

自分で選んでいないからうまく馴染まなくて、

着こなせなかったのでした。

 

 

さて今回はどうか、ということなのですが、

そもそも自信があったことなんて

さいころくらいなものですから、

その基準で言えば特に自信がないということはなく。

ただ、変わりたい、

変えたいという思いはあったように思います。

昼職の方で、

配属された案件の仕事だけをやるのではなく、

グループ(課)全体の標準資料を作って

提案し始めたのもちょうどその頃だったので、

自分も自分の置かれる環境も

変えたいという気持ちが影響したのでしょう。

今回は前にショップ店員さんに

乗せられた時とは違って、

ひたすら試着しまくって、

納得いくものを買うようにしていて

ちゃんと自分で「変える」ことが

できていると思います。

 

 

 

コロナによって家にこもる日々が増えたことで、

いつも以上に自分を見つめる時間が増しました。

逃げるように変わろうとした時には

うまくいかなかったけれど

今回は、何とかうまくいきそうです。

皆さんはこのコロナ禍で、

どんな変化を迎えたでしょうか。

変わらない、

特に変わりたくない人もいるでしょうし、

それもまた一つだと思います。

でもせっかくの機会ですから、

ちょっぴりでも、

何か変えてみるのはいかがですか。

少しずつ、人は良い方に

変わって行けるそうですよ。

 

 

おそるおそる人は 変わってゆけるだろう

追いつめられた心たちよ

36時間に来ませんか

中島みゆき36時間」

10. すべてを書き終えて -気付いたら、ゲイだった

実はこのシリーズは、

読んでもらえたら良いかも、という

具体的な相手が存在していて、

それもあって思いついた企画です。

良かったらこれ読んで、なんて

その人に言うつもりはないですけどね。

自分の過去が何かの足しになる自信はないし、

「これ」と差し出されて読むのと、

言われずに目に触れるのとでは、

確かな違いがあると思っているので。

結局読まれずに終わるような気もするけど、

それならそれで、まぁ良いかな。

…とか言いつつ、少し経ってから

言っちゃうかもしれない。我慢できなくて。

そういうカッコ悪いやつなんですよわたくし。

ダメですよねぇ。

 

 

 

こうやって、ゲイという観点を主軸に

自分の過去をざっと文章にまとめてみて、

忘れていたことの発見も、

少なからずありました。

主に、以前交流したブロガー、

kumazzzoさんのこと。

こんな風に親切にしてもらっておいて、

忘れてしまうなんて、

なんて不義理なんでしょう。

ブログの更新は2014年の2月で止まっていて、

リンクされているツイッター

アカウントも消えています。

当時のメールアドレスに、

メールを送ってみましたが

返信はありませんでした。

 

消息がわからなくなるというのは、

寂しいものですね。

仕事である地方のお客様のところへ

出張で通い詰めていた頃に、現地で

仲良くさせてもらっていた人がいたのですが、

距離のある恋愛なんてありえない、という

マインドセットが強固な僕は、

その人とお付き合いするという気は

まったくありませんでした。

彼もそれをわかっているようでしたが、

でも、余裕ができたら

東京まで遊びに行くと言ってくれた時の

あの感じは、

けっこう本気だったと思っているし、

僕も出張の日程がわかるたびに

当然のように連絡して予定を合わせました。

多分、距離がなかったら

付き合っていただろうと思います。

少なくとも僕はそうしたがったと思います。

 

そんな彼ですが、そのうちに

仕事が尋常ではなく忙しくなっていって、

体調もボロボロになっていき、

ある時は不自然に返信が来なかったのですが、

ちょうどその頃に出張が一段落したのもあり、

その時はそのままにしてしまいました。

その後、今度は常駐で2か月住むことが決まり

そのことを報告しようと連絡しましたが、

返信は返ってきませんでした。

僕は、彼は亡くなってしまったかも

しれない、と思っています。

 

いずれにしても、消息不明となれば、

自分にとっては、亡くなってしまったも同然。

何年も経ってから

連絡が取れないことに気付くというのは、

なかなかに後悔を引き起こすのですね。

切ないことです。

 

 

 

さて、千野帽子さんという方の著作に、

『人はなぜ物語を求めるのか』という

ものがあります。その中の表現に従えば、

人は出来事どうしに因果関係を見いだす癖があり、

自分の過去を、自分自身を、

物語の形で理解しているようです。

記憶というのが、かなり頼りにならない

曖昧な代物であることも手伝って、

その物語というのは、

同じ一つの人生からでも

様々に解釈されてしまう。

自分の記憶をよくよくひも解いていったり、

異なる解釈の仕方の

ヒントを与えてもらったりすると、

その物語が一変して、

自分は実は思っていたような「自分」では

まったくなかった、と気付くこともあり得ます。

 

 

千野帽子さんが具体的に引用している例として、

黒子のバスケ脅迫事件の

犯人のエピソードがあります。

彼は当初、格差社会を呪っていました。

まともな生活ができない原因は社会にある、

だから最後に、社会的成功者に

一太刀浴びせて死にたい、というのが

犯行の動機だと、冒頭陳述では語っていました。

 

しかし、彼はその後、精神科医の本を読み、

自分の人生の解釈を大きく転換させます。

そして最終陳述では、冒頭陳述を一切否定して、

自分の行動の原因は、親からの虐待といじめに

あったのだと述べ直しているのです。

 

 

これは非常に極端な例で、

人生の途中でこれほどインパクトの強い

人生の「再解釈」を経験する人は、

それほど多くないだろうと推測しますが、

年齢を重ねながら少しずつ

過去の捉え方が変わって、

自分の思う自分自身がスライドしていく

程度のことは、よくあるのではないでしょうか。

 

 

 

僕が近年追いかけている思想家・哲学者、

東浩紀さんのエッセイ集『ゆるく考える』

の中に、「少数派として生きること」

と題した章があります。

夏目漱石『こころ』をどう読むか』

という書籍に寄せたエッセイの再掲で、

その中にこんな表現があります。

 

 

マイノリティとして生きること。

それが辛いのは、数が少ないから

ではなく、ひとはだれでも最初は

自分がマジョリティだと誤解して

しまうから、自分がマイノリティ

だと気づくのに時間がかかるから

ではないだろうか。先生はそのあ

いだに、Kを死に追いやり、御嬢

さんを不毛な夫婦生活に閉じ込め

てしまった。先生の罪はそこにあ

る。先生は「私」にその罪を繰り

返すなと説く。だから先生は遺書

に「腹の中から、或生きたものを

捕まえ」てみろと、自分の欲望を

隠すなと記す。「私の鼓動が停っ

た時、あなたの胸に新らしい命が

宿る事が出来るなら満足です」。

東浩紀・著『ゆるく考える』

 2019年、「少数派として生き

 ること」より

 

 

「マイノリティとして生きること」という主語は、

この主張にはいささか大きすぎるように思います。

外見、例えば人種や身体的障害などに由来する

差別的取り扱いを、ものごころつくかつかないか

くらいの時分から受けていれば、

自分がマイノリティであることを

早々に、強烈に自覚させられます。

「気づくのに時間がかか」らないのです。

 

そういう意味でこの主張は、

セクシュアリティのマイノリティ性に

非常に特異に当てはまっているようです。

性的指向は、思春期を迎えるまで

気付かれにくく、しかも

完全に内面だけの問題であるが故に

自分で「気付かないように」することも

可能である。そして上手く隠してしまえば、

誰からも指摘され、差別されることなく

やり過ごすことができてしまいます。

それが幸せであるかは別にして。

 

2021年現在は、同性愛の恋愛や生活を

主題にしたドラマが全国ネットされるような

時代になっていますが、そうでなかった頃、

スティグマから逃れるように自分の

同性への欲望を否定した人はたくさん

いたと聞きます。

だれでも最初は自分がマジョリティだと

誤解してしま」い、自分の物語を

マジョリティ前提で作り上げている。

自分のマイノリティ性と向き合うことは、

自分が作ってきたマジョリティとしての物語を、

マイノリティとしての物語へ

書き換えることを迫られる、

ということに他ならないでしょう。

 

僕の場合は、もともとマジョリティとしての

既成の物語に上手く乗ることができておらず、

自分のマイノリティ性に気付いて初めて、

自分らしい物語を「発見」することができました。

一方で、物語を書き換えなければならない

ことに、恐怖や苦痛を覚える人も、

きっとたくさんいるはずです。

そこまでとは言わずとも、

どうやって書き換えたらいいのか

分からず戸惑う場合も多いでしょう。

 

 

言語化」という作業は、

それに対して大きな威力を発揮します。

なにもこれは過去のことに限ったことではなく、

今現在の自分の「心」というものも、

案外自分で分かっていなかったりするもの。

人に話してみて初めて、

あれ、こんなこと思っていたの?と気付くことも

あったりするものです。

 

でもこの言語化、一人で行うのは意外と難しい。

聞き役がいてくれることが助けになったり、

刺激になるような文章を

読んだりすることで促されたり。

そうした外部の力が、とても重要です。

 

 

 

僕の今回の文章は、「再解釈」のための、

言語化」実践の一つです。

僕自身のためになる、とても楽しい作業でした。

 

そしてこの文章が、

もしも「外部の力」として、

どこかの誰かの「言語化」の

助けになったのだとしたら、

こんなに嬉しいことはありません。

 

そしてさらにもし、

自らの「言語化」に迷ったり躊躇している人が、

これを読んで、僕がkumazzzoさんにしてくれたように、

声を掛けてくれることがあるとすれば、

僕は喜んで、あの時のkumazzzoさんと

同じことをしたいなぁ、と思っています。

 

 

 

2021430日 日付が変わる少し前。

 

Special Thanks To カズ兄(校閲

 

 

最初の章から読む:0. おはなしを始める前に

前の章を読む:9. いまのきもち

9. いまのきもち -気付いたら、ゲイだった

 幼いころの僕は、大人からの評価がすこぶる良

かった。「良い子」で「頭が良」く、「育ちが良」

い。僕は大人の会話に耳をそばだてるのが大好き

で、どうすれば良い評価を得られるのか知ってい

たし、そういう自分を演じることは、そういう自

分であるということと寸分違わないことだと思っ

ていた。幼稚園を卒園した後、小学校入学までの

間によく幼稚園へ遊びに行った。先生たちと同じ

お弁当を食べさせてもらえることもあった。僕は

箸で丁寧におかずをつまんで、左手を添えながら

口元まで持っていき、行儀良く口に入れてよく噛

んだ。誰よりも、自分がそれを見ていた。そうや

って所作の隅々まで神経を行きわたらせることの

できる自分を、自分自身が誇らしく眺めていた。

 小学校に入って、同級生にも優等生として扱わ

れるようになった。一方で、ある時期クラスに2

匹の犬が現れたとき、片方の犬が僕であったりす

るような、そんな愉快な面、というかぶっ飛んだ

面も持ち合わせていたので、12年生の頃は、そ

れは純粋にプラスの評価だった。2匹の犬は、移

動の時はもちろん四つ足だった。二人ともズボン

のベルトを通す輪に家の鍵をつけていて、電話の

受話器についているような、伸び縮みするゴムで

繋いでいたので、それがリード代わりだった。飼

い主はそれぞれ固定だった。休みの日にも、飼い

主の子の家に遊びに行って、犬として遊んだりも

する徹底ぶりだった。

 3年生に上がって、自我が大きく変化した。特

に男子に対して、口うるさい女子学級委員のよう

な態度をするようになった。実際学級委員だった。

一部からは、出くわすたびに「うわー、○○(苗

字)だ」と、厄介者扱いするような、笑いものに

するような、その中間くらいのニュアンスで言わ

れるようになった。実際どういう気持ちで彼らが

そう口にしていたのかはよくわからない。記憶し

ている限り、それ以外に嫌なことは大してされて

いないからだ。でも僕は、そういう彼らに対する

苦手意識を持つようになった。そもそも外で遊ぶ

ことを好まなくなったこともあって、いずれにし

ても男子の輪に入ることはなく、一人でいること

も多かった教室で、同じく一人でいるような女の

子と仲良くしたりした。かといって性別の隔たり

は頑として存在していた。僕にとって学校は、ど

ちらかといえば苦痛の方が多い場所だった。何が

苦痛と言って、誰になじむこともなくただ存在す

る自分に対する自分の視線が苦痛だった。小学4

年から通った塾の方が、同性の友達もできてよほ

ど楽しかった。

 自分に対する自分の視線は、やがて、何故自分

がこういう人間であるのか、ということを問うよ

うになっていった。中学生の頃には、何のために

生きるのかということに対する自分なりの答えを

構築していくと同時に、自分の過去を振り返るく

せがついた。自分の性格、取りがちな行動と、幼

いころに母親に言われたこと、されたことに因果

関係を見出して、すべては母親に原因があると考

え、憎んだ。全面的に憎悪していたわけではない

が、「やっぱり母が悪い」という言葉が、内面に

いつもついて回っていた。それですべて説明がつ

くと思っていた。あまりにも若かった。

 

 

 今回、一通りの文章をいったん書き終えた頃、

三浦瑠璃氏の自伝的著作を読み、刺激を受けた。

この書籍には、こんな一節がある。

 

「長じて夫に出会ったとき、伴侶として語り合う

うちに彼が私に言ってくれたことがある。帰責性

と因果関係を混同したらだめだ。あなたという存

在には、他者の支配欲を呼び起こす原因はあるが、

だからといって責任はない。ああ、あのときにそ

う分析して私に語ってくれる存在がいたらよかっ

たな、と切に思うのである。」(三浦瑠璃・著

『孤独の意味も、女であることの味わいも』

2019年、P.98

 

 三浦氏が夫にこう言葉を掛けてもらったのは、

三浦氏に性被害の経験があり、それは明らかに加

害者側が100%悪いにもかかわらず、三浦氏が

自身にも責任を見出していたからだ。これは、例

えばいじめの被害者やうつ病の患者にも共通して

みられるものだ。本人だけでなく、周囲の者でさ

え、「あなたにも悪いところがある」と本人に言

ったりする。それは、帰責性と因果関係をきちん

と峻別できていないからだ。

 

 今、自分の何一つも、母への憎しみの種にはな

っていない。もちろん、母が自分の母であったか

らこそ形成された性格や習慣はあるという認識に

変わりはない。しかし、同じことは母自身にも言

えて、彼女の人生の結果としてその時々の彼女の

振る舞いがあったのだということを理解したとき

に、彼女を責めることは無意味となった。責任を

問えば、それは例えば僕の父や、母の両親、過ご

した施設の人々、学校の人々に遡れるかもしれな

いし、そうやって遡れば遡るほど、責任は霧散し

ていく。直接的な因果関係は、責任の根拠として

はあまりにも不明瞭なのだ。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

近年、自分の人生を、

「ミニチュアの寄せ集め」と呼んでいます。

家庭であったこと、学校であったこと、

セクシュアリティ

人生の色々な場面において、

世の中で言葉が与えられているような問題に、

いささか近接しなくもないような

経験をしてきました。

でも、それらすべてが、虐待だとか、

いじめだとかの言葉を与えるには

大したことがなさすぎました。

ゲイとしての人生だって、もっと苦しんでいる、

または苦しんできた性的マイノリティの

人たちから比べると、

乗り越えるのが容易なものだ、

というのが現時点での評価です。

 

これら一つ一つの「ミニチュアさ」に対して、

くだらない人生だなと思ったりもします。

でも同時に、それぞれの問題に対して

もっと苦しんでいる人々への想像力を

働かせる手掛かりにできていることには

感謝の念を持っています。

もしもすべてを等身大サイズで経験していたら、

自分自身がボロボロになってしまって、

他人のことを考えている余裕なんて

一切ない程度の器しか

持ち合わせていないことは、

自分自身がよく知っています。

 

様々なミニチュアサイズの経験を持っていること。

その意味。できるはずのこと。課題。

周りの人々に、大変な人生の一部分を

打ち明けられたりしながら、

最近はそのことについて考えています。

 

 

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