0. おはなしを始める前に -気付いたら、ゲイだった

唐突に我が身の来し方を語り始めるのが

気恥ずかしいように思われて、

ついしたためる、序章。

そんな前置きをすることも、

それはそれで勿体ぶるようで、

と、言い訳をしつつの、序章。

まぁ、本当のところは、

何とも思っていないのだけれど

 

 

 

2021年現在、ゲイを自認する人にとって、

自分以外のゲイという存在を知ること、

オンラインや、リアルでの関係を作ることが、

かなり便利に実現できる世の中になっています。

 

SNS上には、顔写真とともにゲイであることを

公表しているアカウントがたくさんあって、

日常の一部を垣間見ることができるし、

ゲイ専用の出会い系アプリも、

使い勝手の良いものがいくつも存在する。

昔は希少な出会いの場であったゲイバーも、

遊びや交流のバリエーションの一つとして、

役割を変えながら機能し続けている。

 

LGBTという言葉が一般的になり、

その言葉自体にいろいろな問題をはらみつつも、

存在が社会的に、俎上にのるようになりました。

 

 

2002年。

 

 

これは僕自身が、「男が好きである」と

自覚した年です。小学5年生でした。

当時の自分の肌感覚では

社会はゲイにとって、比較的“凪”の時代でした。

もちろんそれは、

社会の意識に上っていないということの

裏返しでしかありません。 

 

その後、

「一生ゲイとして生きていく(だろう)」

と自覚したのは、2005~6年の頃。

中学2年~3年の、思春期真っただ中でした。

当時まだスマホはなく、ネットはPCで見るもの

今とは違う、オンラインでの関係性、

楽しみ方というのがありました。

とはいえ今ほどには、肯定的な情報への

アクセスは用意されておらず、

きっとあの時代だったからこそであろう形で、

徐々に不安を払拭していったものでした。

そのきっかけが、ネットであり、

色々な人の書いたブログであった。

そんな頃のことを、そのブログを使って、

書き起こしてみようじゃないかと。

30歳の大台に乗る前に、

薄れゆく記憶を今のうちに、という、

20代クロージング企画というわけです。

 

 

 

どういった人がこの文章を読んでくれるのか、

僕にはいまひとつ予想がつきませんが、

どんな人が読んだところで、

私という一個人の経験は、

共感できるか、という点において

確率論的にあまり高くないでしょう。

今ほどではないにしろ、

段々と経験が多様化してきていた時代の話です。

家庭の話も出てきます。

家庭というのは、これは本当に千差万別です。

 

 

ただ、物の大きさをわかりやすくするために、

比較対象として隣に並べる、マッチの箱。

これから始めるのは、そんな些細なおはなしです。

 

 

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