3.11の月イチあずまんフォーエバー - 中島みゆき「水晶球」

震災からちょうど8年の昨日。

その日だからこそのネット記事や、ツイート、

ラジオを耳にすると、記録を残さずには

済ませられないな、と、いつもなら下書きを

少し寝かせるところ、浅漬けでの投稿です。

 

奇しくも今日、J-Wave "JAM THE WORLD"

月イチあずまんフォーエバーの日。

思想家・批評家の東浩紀さんが、

ジャーナリストの津田大介さんと、

震災について色々と語ってくださいました。

 

話の中で気になったポイントは、以下3点。

原発賛成反対、というような対立が、

 震災にとどまらずすべてのイシューの対立へ

 広がり、みんなバラバラになってしまった。

 

・何年後に地震が〇%の高確率で来る、と

 言われたところで、東京から逃げられる

 わけでもなし、気にせず生きていくという

 姿勢が、政治も含めて何もかもに無気力。

 刹那的享楽的になっている。

 色んなイシューがお祭り的に

 盛り上がっては忘れられてい

 

原発事故の風化が進み、記録されない。

 原発事故は人類、文明の問題であり、

 福島の当事者だけが言葉を

 独占していいものではない。

 

このうち2つ目のポイントに重なるのが、

2014年初演の夜会「橋の下のアルカディア

における、「水晶球」という歌。

 

橋の下のアルカディアは、震災への意識が

非常に強く読み取れる作品です。

橋の下の地下街には、津波の代わりに

毎時200ミリの大雨、その放水が

押し寄せて来ます。

そこへ居座る二人に対しては、前々から

放水路にするから立ち退きなさいという

通知が来ていたのですが、故あって

離れようとしない。そんな様子に重ねて

歌われるのが「水晶球」。

 

 

抵抗しようのない天災に対して、

私たちは

「いつ来るかわからないし」

「来てもどうにもならないし」

という2点の合わせ技をもって、

日々の意識の中から消し去って生きている。

 

東さんはそれを、地震大国である

日本の生活の知恵、伝統の知恵なのか、と

仰っていましたが、

ある部分ではやむを得ない態度と

言っていいかもしれません。

 

でも一方で、この水晶球という歌を

突きつけられた時に、

それでいいじゃないって

言えないところがある。

何故なら現に大震災は起き、

原発で爆発が起き、

東京や横浜までが住めない土地になる

最悪のシナリオまでが想定された、

その過去を知っているから。

  

 

遠い先のことなんか

どうでもいいじゃないですか

遠い先の日々なんか

来るか来ないかわからない

それより覗いてみませんか

間もなくのことはどうですか

 

わかってみたところで

どうしようもない

目の先の未来だけ 水晶でどうですか

目の先の未来だけ 水晶でどうですか

 

わからずに わからずに

暮らしたいですね

わからずに わからずに

暮らしたいですね

 

「水晶球」

中島みゆき

 

 

※2019年4月13日追記 

以下、ご紹介したラジオ放送の記事です。

www.j-wave.co.jp