良いお年をお迎えください 3rd. - 中島みゆき「ランナーズ・ハイ」

2020年=新型コロナウイルス

そんな一年が終わろうとしています。

コロナ禍の影響を一切受けなかった人が

地球上にいったい何人いるだろうかと思うと、

改めて、その異常さが実感されてきます。

 

2019年1月3日の記事にも書いたのですが、

2018年~2020年の3年間というのは、

「異常干支」と呼ばれる特殊な時期で、

時代の変わり目になる特殊なエネルギーを

持っている、ということになっていました。

そう言われて想像するものとは、

全く異なる様相を呈した2020年でしたが、

時代の転換期になることは確実でしょう。

これだけのことが起こっておいて、

事態が収まったら元に戻るなんてことは、

まずあり得ないでしょうからね。

 

さて、そんな2020年ですが、

私にとってはどんな年だったかといえば、

仕事。とにかく仕事です。

今までにない仕事も増えて、

葛藤も、いろいろありました。。。

 

 

 

メインで携わっている案件が炎上し掛かった

(というかいささか燃えている)ことが、

とにかく仕事な一年となった原因なわけですが、

テストによってガンガン発見される不適合

(直さなければならない、

 仕様と異なるシステムの挙動)

とか、調査・検証しなければならないことを

整理して開発メンバー(若手社員3名)へ

振っていくという作業を9月からやっています。

燃えていますから、人員に対するタスク量が

かなり多い状況。ここで、

残業させることへの葛藤にぶち当たりました。

 

もともとこの案件は、「要件定義」という

システムにどういう機能を盛り込むかを

洗い出すフェーズを、上司と私の二人で

3カ月ほどやって、基本設計に入ったところから

ほかの社員メンバーが入ってきています。

かつ、開発規模に対して約半分を協力会社に

開発委託していて、その範囲の品質問題が

かなり影響して炎上している、という状況。

 

その中で、開発リーダーをしてきた私は

1月からずーっと一人で忙しくて、

ほかの人はせいぜい8月くらいから。

正直、こっちはずっと忙しいんだから

そろそろもっと働いてくれよ、

という気持ちがありました。

しかし同時に、

この子たちに今の状況を生んだ責任を

どれほど求めるべきなのだろうと考えたときに、

何故彼らが特例申請を出してまで残業しなければ

ならないのか?という疑問も湧いてきました。

そこから、残業っていったいなに?

そもそも仕事ってなに…?という根本まで

立ち返ってしまい、

しかも答えが全くでないという

藪の中へ分け入ってしまいました。

 

昭和の歌謡曲が好きで、

80年代のみゆきさんとか谷山さんのラジオを

ニコ動とかで大喜びで聴いている私は、

仕事に対する価値観も昭和寄りで、

やらなきゃならないもんはやるでしょう、

と言って、他人が作ったボロボロのプログラムを

夜な夜な直す、みたいな仕事を入社以来、

悪態吐きつつも進んでやってきました。

 

でも、それを人の心は理不尽に感じるのだ、

ということは、さんざんやってきた自分が

一番よくわかっているわけです。

それをさせているのだと思うと、

部下たちに極端な残業をさせる根拠が

打ち立てられなくなってしまって、

どうしていいのかが

わからなくなってしまったのです。

 

それでも、「時間がかかるのは彼らの

これまでの研鑽が足りないからだ」という

ことが言えれば、それで済ませられるのですが、

今度は「ではこの年次ではどれくらいできるのが

標準なのか?」という疑問にぶち当たり、

これまた答えがなくて困るわけです。

 

申し訳ないけれど、同じ年次の時の自分と比べて、

同程度と言える人は一人もおらず、

自分を基準にしてしまえば悪いのは

彼らということになります。

でも、自分はたまたま初めからチャレンジングな

仕事を担当してきたからで、

彼らが悪いのではなく当たった仕事の縁、

あとは指導のされ方の問題かもしれない、

でも自分はほぼ指導なんてされたことない…

みたいなことをグルグル考えて、

結局振った仕事のペースは彼らに任せて、

帳尻を自分で合わせる、というような

ところへ落ち着いてしまいました。

 

これを書いているまさに今の考えとしては、

途中からとはいえ、すでに1年弱

関わってきているのだから、

ある程度の責任は持ってもらって当然、

という考えに至っていますが、

人に仕事を振るって、誠実に考えようとすると

難しいですね・・・

 

 

 

そんな案件も、

2月の頭に本番リリースを迎えます。

何とか、旧システムへの切り戻しをせずに

乗り切れることを祈りつつの年越しです。

落ち着くのは春頃か、夏までかかるか・・・

その頃にコロナがおさまっていたら、

思いっきりやりたいことを

やろうと目論んでいます。

 

もともとは、谷山さんの地方コンサートに

行けるだけついて回ろうか、

なんて思っていたのですが、

乳がんを患ってしまわれたので、

いつ復帰されるか、

という状況になってしまいました。

代替案を考えつつ、早く元気になって

戻ってきて欲しいところです。

 

 

 

さて、この年の瀬の表題曲を

何にしようかと思って、

みゆきさんの曲目リストを

一通り眺めたのですが、

やはり今年ですと、

ランナーズ・ハイ」あたりが

ハマるのかなぁ、ということで選曲しました。

 

本来はマラソン選手に対して使う言葉ですが、

この歌では、

主人公がほかのすべてを犠牲にしながら

それでも歌い続ける様子、その理由を指して

ランナーズ・ハイに違いないわ」

と言っています。

 

私の印象ですが、この主人公は、

根本的では自分が歌い続ける理由を

「わかっていない」ように感じています。

なんで、愛も暮らしも犠牲にしてまでも

自分が歌い続けるのか、自分でもわかんないけど、

ランナーズ・ハイみたいなことに

なっちゃってるってことなんでしょうねぇ、

みたいな、

主観と客観の間みたいなところで

考えているのではないか。

 

私も自分のことを、働き方も昭和の価値観だと

先ほど述べましたし、

お客様に使ってもらうシステムを

中途半端なものにしたくないからとか、

いろいろ理由はつけられるんですけど、

根本のところは、

自分でもよくわからない気がしてます。

なんで自分は一人で

こんなに頑張ってるんだろうと。

わかっちゃったら、なーんだ、と言って

やめてしまいそうな気もするので、

わからないままで良いようにも思いますが。

 

 

 

今年も残すところあと数時間。

皆様、それぞれに事情のあることと思いますが、

どうぞよいお年を、お迎えくださいませ。

 

 

心は常に折れてる

副木(そえぎ)をあてて生きてゆく

継木(つぎき)を継いで生きてゆく

ランナーズ・ハイに違いないわ

 歌ったら停まらない

ランナーズ・ハイに違いないわ

 歌ったら停まらない

中島みゆきランナーズ・ハイ」