もっと昔にもあるのかもしれない。思い出せないだけで。 - 谷山浩子「初恋の頃」

恋歌口ずさみ委員会の記事で、

高校生の頃の初恋を

文章にしたと書きました。

長いこと、あれが初恋だと

思っていましたが、ふと、

実はあれが初恋なんじゃなかろうか

という、もっと昔のことを思い出しました。

 

私は小学生のころ、週1で

水泳教室に通っていました。

クロールのタイムがなかなか上がらなくて

練習の厳しいクラスに入ることはなく、

のんびり楽しく泳ぐことを主眼にした

クラスで3年ほど泳ぎました。

まぁ、私としては

厳しいクラスに入りたくなかったので、

それで一向にかまいませんでした。

 

いくつかクラスはありましたが、

終わったあとのシャワーは

よくタイミングが被りました。

仕切りのない、

大きめのシャワー室の左右の壁から

シャワーヘッドがいくつも出ていて、

裸の男の子たちが芋洗い状態。

 

そんなシャワー室である時、

2,3歳くらい歳下と思しき

やんちゃな男の子と、仲良くなりました。

 

ごく断片的な記憶しかありませんが、

シャンプーとリンスを混ぜて

頭を洗ってはしゃぐという、

何が面白いのか全くわからないことが

二人とも最高に楽しくて、

キャッキャウフフしたことは覚えています。

 

それから、一緒にシャワーで遊んだり

迎えに来ている母親のところに戻っても

じゃれ合うようになって、

途中まで一緒に帰ったりもしました。

母親同士も少し仲良くなっていたかな。

 

とは言え、会うのは水泳教室の帰りだけ。

他に約束して会うようなことは

ありませんでした。

 

しかし、そんな日々にも

当然終わりは来ます。

 

小学四年生に上がると同時に

塾に通うことになると、

時間の確保が難しくなり、

私はスイミングを辞めることに。

 

さして泳ぐことが好きなわけでもなく、

どちらかと言うと面倒に思っていたので

辞めることには全く抵抗しませんでした。

 

ただはっきりとおぼえているのが、

退会の手続きを終えて、

エレベーターを降りていく時の

たえがたく切ない心の痛み。

その男の子と、

もう会えなくなることの

悲しみがあまりに大きくて、

この気持ちは一体何なのだろうと

戸惑う十歳の私。

 

 

 

子供向けの物語、アニメやら何やらで、

友達との別れは、よく描かれるネタの一つ。

「手紙書くからね!」というのが

そんなときの常套手段でしたが、

その先の手紙の交換まで

描かれることは少なく、

そんなものが簡単には続かないことは

子供心ながらわかっている。

 

それでも、住所を知っていれば

手紙書けるのに…なんてところまで

思いを巡らせたことをおぼえています。

 

 

 

まぁ、友達との別れだって、辛いものは辛い。

初恋なんかに分類するのは

ちょっと違うんじゃない、とも

言えます確かに。

 

でもそれにしては。

 

そんな気持ちを抱えながら、

その当時、誰にもそのことを

話すことはありませんでした。

その選択が「当時の自分にしては」

不自然なのです。

 

そしてもう一つ。

その男の子は、マルコメ君みたいな

坊主頭をしていて、

ぷにっとふくよかな体型でした。

 

 

そう…

 

 

短髪ガチムチ…

 

 

多分顔もタイプの系統…

 

 

 

書いていて悲しくなってきたので

この辺にします。

 

 

 

人は、性を知るより先に、

恋をすることがあるのでしょうか。

思春期以降の恋に当然含まれる、

触りたい、抱きしめたい、

キスをしたい、セックスをしたい、

そういう欲求を知る前に。

 

そこに友情と恋情の境目は

見出せるのだろうか。

そもそも友情と恋情や愛情は

はっきり分かれるものなのだろうか。

その頃のことを思い返しながら、

何となく、そんなことを考えます。

たまに、幼稚園ですでに

ゲイに目覚めていた、という話を

耳にします。

幼稚園の先生が好きだった、とか。

今度そんな話が出たら、

詳しく聞いてみようと思います。

 

 

ただそれだけで

わたし よかったの

ただ それだけですべて

満たされた

つかずはなれず 並んで歩く

そんな 初恋の頃

 

谷山浩子

「初恋の頃」