画家・山口晃さんの、透明な「技術」論

久しぶりの投稿です。

無駄な無理はしない主義なので、

思い立ったら投稿、という感じで

ゆるゆるとやっていく所存です。

私自身の僅かばかりの変化が

追えるようなブログになっていたら

良いな、などと目論んでおります。

 

 

 

 

 

以前、ほぼ日のインタビュー記事が好きで

毎日必ずチェックしていた時期がありました。

(ほぼ日知らない人は良かったら

ググって下さい笑)

 

ほぼ日のインタビューは、

糸井さんが聞き手のときも、

他の社員さんが聞き手のときも、

人間性を掘り下げるようなスタンスが

通底しているように思います。

具体的な内容はごく日常的でも、

抽象度が高いというか。

 

そのせいなのか、今までかなりの数、

色んな人のインタビュー記事を

確かに読んだはずなのに、

いざどんなものを読んだかと

具体的に思い出してみようとすると、

はて…

 

 

 

そんな中にあって、ほぼ唯一と言っていい、

座右の銘にも匹敵するほどに

明確に記憶に残っている話があります。

 

画家・山口晃さんの、「技術」の話です。

 

https://www.1101.com/yamaguchi_akira/

 

リンク先に飛んでみると、

色んな時代が一つの絵の中に合体したような

不思議な、面白い絵が。

会田誠さんが、

嫉妬するくらいの技術で描きこまれた細密さ

なんてどうでも良くなるくらいに、

山口さんが男前。めっちゃ男前。

 

 

 

インタビューに話を戻します。

 

記事は3回に分けられていて、

第1回の冒頭でいきなり、

「山口さんにとって『技術』とは」という、

直球の質問がぶつけられています。

それに対して山口さんは、

タオルと包装のビニール袋の喩えをして、

技術とは透明度である、ということを

説明しています。

 

 

つまり「つくり手の意図するところ」へ

「見る人を

すうーっと直に導いてくれるもの」が

「技術」なのではないか、と。

  <https://www.1101.com/yamaguchi_akira/>

 

 

これ、非常に乱暴な言い換えになりますが、

技術は手段だって話じゃないかと思います。

 

 

例えばです。

私はSE(システムエンジニア)です。

アプリケーションの設計開発を担当していて

かれこれ5年ほど、

プログラムを作り続けています。

 

プログラムコードを書くにあたっての

テクニックというものは、

まぁ色々とあるわけですが、

それらは当然、実現したいことがあって、

その実現のために考案され、

質の高いものが定番となっていく。

 

しかし、プログラマーの中には

それらの技術を、

「使いたいから使う」パターンが

結構あるのです。

まぁ、目新しいやり方、

何となくカッコいいやり方を見つけると

使いたくなる気持ちはわかります。

 

 

ただ、このパターンに陥っていると

そのプログラムは大抵、もうダメです。

目的とテクニックが合ってないので、

動作が遅かったり、修正しにくかったり。

(プログラムというのはいつか修正が

 入るのが当たり前のものなのです。)

その人の「技術力」が、

その技術に追いついていないと、

技術が逆に邪魔になるのです。

 

 

話は変わって。

 

みゆき教信者のわたしのこと、

みゆきさんの話も押し込みます。

 

 

みゆきさんは現在、御年67歳。

40年以上第一線で歌い続けています。

彼女の魅力はたくさんありますが、

比較的語られることが少ないのが、

歌唱技術だと思います。

 

というのも、おそらくみゆきさんは

歌が技術的に上手いというイメージを

あまり持たれていないかと思います。

 

しかしみゆきさんの歌唱というのは、

デビュー当時から大きく変化しています。

夜会という音楽劇のために、

発声法を舞台用に改めて鍛え直したことが

大きく影響していると思われますが、

かなり発声しにくい体勢や動きを

しながらでも歌えるように、

役に合わせた様々な表現ができるようにと、

進化を続けてきました。

 

みゆきさんの場合は歌手なので、

(つまり、ミュージカル俳優ではない)

トレーナーの方にも、癖は残したまま、

無理なく発声できるようにしましょうと

言っていただいたと、

みゆきさんの著作で読んだ覚えがあります。

その癖というのが結構なものなので(笑)、

気付きにくいというのも

一つにはあるかもしれません。

 

でもそれ以上に、彼女の技術は場面場面で、

その必然性に従って使いこなしているために

技術というより「表現」として聴こえる。

そんなところがあるのではないかと、

一信者としては思っているわけです。

 

もちろん、磨き抜かれた技術それ自体を

鑑賞するのも、良いものだと思います。

インタビューの中では、

デッサンの技術がありすぎて

あまり観てもらえないルーベンス作品の

話も出てきています。

あまりに純粋に目的を達成したが故に

引っ掛かりがなくて面白くない。

 

まぁ、それは芸術とかの話であって、

プログラムは面白くなくて良いんですけど。

 

 

 

でも、技術が磨かれると透明になるって、

それがどんなに大変ですごいことなのか

わかる人にしかわかってもらえなくなる

可能性も結構大きいということで。

 

わかってあげられる人になりたいものだと

思う今日この頃です。