自分を振った男が

自分を振った男が舞台上に居るのを

客席から観るのは、これで二人目だ。

 

 

 

一人目の時は、振られる前にチケットを

取ってもらっていた。

その舞台には別の知り合いも居て、

行かないという選択肢は

あまり考えに浮かばなかった。

 

舞台上にその人が現れた時には、

感情というよりも、

身体的感覚の波が襲いかかってきた。

自分の全身隅々に至るまで

自分の心そのものとなって、

ざわざわと波打つ感覚だった。

 

舞台と客席という距離感や、

こちらから観る相手はとても小さくて、

向こうが自分に気付くことはないという

位置関係はそのまま、

自分と相手の関係と相似を成して

事実の再認識を迫ってきた。

感傷に浸るには格好の状況であった。

 

 

とは言いつつも、その演奏会で

私はけっこう居眠りをしてしまい、

音楽が気持ち良かったとはいえ

存外に自分も呑気なものであった。

 

 

 

一人目と二人目で、

振られてから演奏会までの間隔は

あまり変わらなかったが、

二人目を客席から観た時の私は

一人目のそれとは全く異なっていた。

 

 

端的に言えば、私は少々の喜びを感じていた。

しばらく会っていなかった友人を

見かけたような感覚であった。

舞台上の彼はとても楽しそうで、

それを純粋に微笑ましく思った。

 

 

 

一人目も二人目も、

引きずったのは2,3ヶ月だったが、

一人目はすぐに次の恋愛が始まって

上書きされたのに対して

二人目は次など影も形もなかったが、

自然と心が落ち着いていた。

 

 

 

自分としては、この違いを

「成長」または「枯れ」に

結びつけて良いものなのか

よくわからない。

すべての人間がオリジナルなのだから、

人との関係もすべてオリジナルであり、

比較するには条件の違いが多すぎる。

 

とは言うものの、前進できていると

思わなければ、人生などやっていられない。

自分も少し大人になれたのだと

そういうことにしておきたい。

 

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さて、この文章を書いた理由はただ一つ。

冒頭の二行をふと思いついて、

それがあまりに気に入ってしまったので

何とか形にしたかった

ただそれだけのことでございます。