振り返りのススメ - 中島みゆき「旅人よ我に帰れ」

「日本人 睡眠」と検索窓に入力すれば、

やれ日本人の平均睡眠時間は世界ワースト1だの、

睡眠に悩みを抱えている人が何%だのと、

ネガティブな情報には事欠きませんが、

何を隠そう、いや何も隠せない。

私だって、比較的睡眠には難ありの身。

寝つきが悪い。途中で目覚める。

早く目覚めて二度寝できない。などの症状は、

職場の最年長の同僚と意気投合するありさま。

 

以前、スリープクリニックなるものに

通ってみたこともあるけれど、

初診時の血液検査で

「ストレスホルモンがこのくらい

 出てちゃあ寝れないね」

と言われた時点で、それじゃあ仕方ない、

と諦めモード。

確かに個人的に平和な時には

それなりに眠れているので、

心の平和を作ってくしかねーな、

と思いつつも、難しいのは明々白々。

悟りを目指して気長に続ける人生修行、

というわけであります。

 

 

一方で単純に、かなり遅くまで仕事をした日は、

脳が興奮しているためか、

床に就いてからしばらく寝付けない傾向にあり。

つい先日もそんな夜更けがあり、

何ともなしに、自分のブログを見返し始めました。

最初の記事の投稿からは、

まだ2年も経たないというのに、

なんだ、この生ぬるいぼけた文章は!

なんて思ったりして。

それもそのはず、書き始めた当初は、

好意を寄せた相手のブログに感化され、

ほわんと味わい深い文章を書きたいがため。

それが今は、

29歳の目標は「開」”(Twitterプロフィール)

とか言い出しており、

自分出してこーぜ! みたいなノリなので、

そう思うのも自分で納得がゆきます。

 

 

そんなことを考えていたら、

何故かふと、LINEの履歴が気になりました。

9年来、最も信頼している友人とは、

これまであまたの

身の上話をしてきた(身の下話も)。

LINEにも相当残っている気がする、と思って、

限界までトークをさかのぼってみると、

2013年の暮れごろでストップ。

卒論提出まであと半月なのに半分も書けていない、

などと喚く卒業間近のわたし。

これはなかなか面白そう。

 

・・・と、一瞬でも思った私が愚かだった。

出るわ出るわ、自分の恋愛ぐだぐだ話。

一気に読んでいるから余計かもしれないけれど、

これだけの話によく

付き合い続けてくれたな・・・と、

本人にはきちんと

感謝の念をお伝えしました(今更)。

 

 

 

さて、ほぼパーフェクトに記録された

自分の恋愛遍歴を辿っていくなかで、

一ヶ所、あれ?と思うところが。

その人とは6年くらい前に知り合ったのだけれど、

ふと思い出したようにちょっと仲良くしては

またしばらく間が空いて、という

間欠泉のような縁の人で、かつ一度振られている。

その人と一度会って、

その前後の間がだいぶ空いた、

今から3年半ほど前の頃の会話。

 

その時に彼と会った時のこと自体は、

かなりいろいろと憶えていて、

多少ヒドい扱いを受けたりもしたはず(笑)。

で、今の自分の記憶としては、その時に

「もうこっちから絡むのやめよー」と思った、

そこで一度彼のことは忘れた(単純な意味で)、

ということになっていました。

その後しばらくして、またちょっと縁が復活して、

そして振られて、という流れがあるわけですが、

それらはこの時の記憶も前提にあって、

自分の中に、

好意と同時に嫌悪も抱えているような、

なんともアンビバレントな恋愛をしました。

※余談ですが、彼と話す中で、この嫌悪が

 なくなっていきそうな予感とともに

 好意が高まり、しかし結局、

 いろいろと腑に落ちて嫌悪が薄まったのは

 振られた後だった、という経緯があり、

 これもいつか文章にしてみたいと思っています。

 

 

しかしこの親友へのLINEにおいては、

その出来事の数日後に、「だいぶ気になっている」

などと、明らかなる好意を表明していたんですね。

正直これがかなりの衝撃で。

だって、これを読んでもなお、その頃の気持ちが

まったく思い出せないんです。

ここの前提が崩れたからといって、

恋愛の結論とか、

今の関係は一切変わらないんですが、

でも当時の気持ちの根拠が

多少なりとも揺らぐとなれば、

後悔とも違う、

何処か間違った場所へ来てしまったような、

名状しがたい感覚にも襲われるというもの。

あの後自分から何か連絡をしたのだろうか?

だんだん気持ちが変わっていったのか?

一切何かを思い出せる気配もなく、

その日はそのまま眠りにつきました。

 

 

 

そもそも記憶というのは、

あまり当てにならない代物で、

自分の興味関心の強さで取捨選択されてしまうし、

後々の情報や経験で改ざんされてしまうもの。

とは言え、自分の人生を

すべて記録してくことは不可能だし、

記録したところで常に参照しながら

生きるのも非現実的で、

そういう頼りない記憶を頼りに、

自己を支えている。

 

しかし、時に立ち止まり、

自分自身を整理するに当たり、

こうした過去の自分自身の証言というのがあると、

記憶のねじ曲がりに

気付くことができるということを

身をもって体感しました。

 

人は自分の人生を物語のようにとらえ、

今の自分を規定する、ということについては、

このブログでも、

千野帽子さんの本を紹介したことがありますね。

記憶だけに頼っていると、

だんだんこの物語が事実とずれてきて、

間違ったことで自分の可能性を見誤ったり、

選択に失敗したりすることがあるかもしれません。

 

過去を「黒歴史」と呼んで、

いわゆる「ツイ消し」をしたり、

自ら過去の自分自身を

消していってしまう人もいますが、

過去はその人を確実に形作っていて、

その消去は不可能。

いつか時が経って、

冷静に距離を持って見られる日に賭けて、

消さずに取っておくことを、僕はお勧めしたい。

 

そんな思いを強くしながら、

今日も私は、軽い不眠と闘うのでした。

 

 

僕が貴女を識(し)らない様に

貴女も貴女を識(し)らない

古い記憶は 語り継がれて

捩(ね)じ曲げられることもある

 

中島みゆき「旅人よ我に帰れ」