1. 二時間ドラマには、何故スナックの女たちが頻出だったのか。 -気付いたら、ゲイだった

幼いころから、好みが妙に女の子っぽい、

というのは、ゲイあるあるのひとつ。

もちろん、そうでない人も

たくさんいるようですが、

僕なんかはまさに、

そのあるある側のほとりを闊歩する

典型的な幼稚園児でございました。

 

世代的に代表格に挙げられる、

セーラームーンは言うもさらなり。

おもちゃ箱にはスティックだかロッドだか

その手のものが入っておりました。

一方で、友達に見せられてもウルトラマン

さっぱり面白さがわからなかったけれど、

オーレンジャー(当時の戦隊モノ)は好きで、

その類のおもちゃも同居していたはずです。

もしそれがなかったら、親は本当に

僕の将来を心配していたことでしょう。

(実際心配して正しいわけですが)

 

もちろん、ものごころつくか否かの頃、

好みを隠すなどという発想は一切なく、

幼稚園では当たり前のように

ラブミーチェーンをキメまくっていました。

でも残念なことに、セーラー戦士役は

女の子たちが全部かっさらってしまって、

いつもタキシード仮面にさせられていました。

薔薇なんて好きじゃないのに…薔薇だけど…

 

得てしてそんな風に幼稚園では、

女の子たちと遊ぶことのほうが多くて、

おままごとばかりしていたような記憶です。

 

ジェンダー的に?と言えばよいのか、

女性への憧れも当時から強くて、

長ズボンを頭に被って、

私の長い髪を見ろだのと叫びながら、

歌舞伎の毛振りのようにぶん回す、

なんてことは日常茶飯事でした。(憧れ…?)

 

身体がどうとか他人からどう見えるかとか、

その辺りには頓着なかったので、

かわいい服は一切着たがりませんでしたが、

「~だわ」「~なのよ」といった

女性的な語尾が好きで、

しょっちゅう使っていたせいでしょう。

お兄さんから聞いて知っていたのか、

幼稚園の友達からの年賀状に

「オ〇マか?」と書かれたことを、

はっきりと覚えています。

それを見た母親がなんとも言えず、

知らなくて良いというようなことを言って

気まずそうにしていました。

 

 

母は私がお腹の中にいる時に、

(いる時にも、のほうが正確かな)

強いストレスを抱えておりました。

当時から、母体ストレス説という

「性指向/自認が胎児期の母親のストレスで歪む」

という主張がまかり通っており、

様子のおかしな私を非常に心配したようで、

「もし女の子になりたいと思うなら、

病院に行かなきゃいけないからちゃんと言ってね」

と、幾度となく母親に確認されました。

 

女の子になりたいとは思わなかったので、

もちろん否定はするわけですが、

自分が男の子っぽくないことはわかっているから、

これが「女の子になりたい」ということだったら

どうしよう、そうしたら僕は病院送り?とか、

好み振る舞いが女の子っぽい自分は、

やっぱり「おかしい」のだろうか?

みたいな不安は、そのたびに感じていました。

 

そんな男の子が結局、ゲイを自認するわけですが、

この一致は偶然なのかなんなのか、いずれにせよ、

不運といえば不運なのかもしれません。

「性指向/自認」と書きましたが、

当時この区別は、全くもって

浸透していなかったはずなので、

母も「女の子になりたいのかどうか」という

訊き方をしていたのでしょう。

今では母も、その違いをよく理解しているので、

時代も変わったものです。

 

 

 

それにしても当時を振り返ってみると、

「ほとんど飲みにも出ないというのなら、

 どうやってその

(ババア)クオリティを保ってるの?」

と今になって言われる理由も、

なんとなくわかる気がしてきます。

幼稚園時代に培われたともなれば、

すずめ百までなんとやら。

 

これはどちらかというと小学生の頃ですが、

母親が読んでいた別冊マーガレットとか、

Cookieなどの少女漫画誌が、

(これらは当時は今より大人っぽかった)

毎回楽しみで仕方がなかったし、

昼下がりの二時間サスペンスとかも

日課のように観てましたからね。

片平なぎさ賀来千香子名取裕子

かたせ梨乃、木の実ナナ山村紅葉(笑)...

 

主役ばかりでなく、端役も大切、

スナックで働く女は外せません。

刑事が話を聞きに来た時の彼女たちは

必ず安っぽく不機嫌そうで、

その擦れたあしらい方は、

やはり勉強になりました。

 

ちなみに申し訳ないけれど、船越さんには

ぜんっぜん興味ありませんでした。

 

 

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0. おはなしを始める前に -気付いたら、ゲイだった

唐突に我が身の来し方を語り始めるのが

気恥ずかしいように思われて、

ついしたためる、序章。

そんな前置きをすることも、

それはそれで勿体ぶるようで、

と、言い訳をしつつの、序章。

まぁ、本当のところは、

何とも思っていないのだけれど

 

 

 

2021年現在、ゲイを自認する人にとって、

自分以外のゲイという存在を知ること、

オンラインや、リアルでの関係を作ることが、

かなり便利に実現できる世の中になっています。

 

SNS上には、顔写真とともにゲイであることを

公表しているアカウントがたくさんあって、

日常の一部を垣間見ることができるし、

ゲイ専用の出会い系アプリも、

使い勝手の良いものがいくつも存在する。

昔は希少な出会いの場であったゲイバーも、

遊びや交流のバリエーションの一つとして、

役割を変えながら機能し続けている。

 

LGBTという言葉が一般的になり、

その言葉自体にいろいろな問題をはらみつつも、

存在が社会的に、俎上にのるようになりました。

 

 

2002年。

 

 

これは僕自身が、「男が好きである」と

自覚した年です。小学5年生でした。

当時の自分の肌感覚では

社会はゲイにとって、比較的“凪”の時代でした。

もちろんそれは、

社会の意識に上っていないということの

裏返しでしかありません。 

 

その後、

「一生ゲイとして生きていく(だろう)」

と自覚したのは、2005~6年の頃。

中学2年~3年の、思春期真っただ中でした。

当時まだスマホはなく、ネットはPCで見るもの

今とは違う、オンラインでの関係性、

楽しみ方というのがありました。

とはいえ今ほどには、肯定的な情報への

アクセスは用意されておらず、

きっとあの時代だったからこそであろう形で、

徐々に不安を払拭していったものでした。

そのきっかけが、ネットであり、

色々な人の書いたブログであった。

そんな頃のことを、そのブログを使って、

書き起こしてみようじゃないかと。

30歳の大台に乗る前に、

薄れゆく記憶を今のうちに、という、

20代クロージング企画というわけです。

 

 

 

どういった人がこの文章を読んでくれるのか、

僕にはいまひとつ予想がつきませんが、

どんな人が読んだところで、

私という一個人の経験は、

共感できるか、という点において

確率論的にあまり高くないでしょう。

今ほどではないにしろ、

段々と経験が多様化してきていた時代の話です。

家庭の話も出てきます。

家庭というのは、これは本当に千差万別です。

 

 

ただ、物の大きさをわかりやすくするために、

比較対象として隣に並べる、マッチの箱。

これから始めるのは、そんな些細なおはなしです。

 

 

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良いお年をお迎えください 3rd. - 中島みゆき「ランナーズ・ハイ」

2020年=新型コロナウイルス

そんな一年が終わろうとしています。

コロナ禍の影響を一切受けなかった人が

地球上にいったい何人いるだろうかと思うと、

改めて、その異常さが実感されてきます。

 

2019年1月3日の記事にも書いたのですが、

2018年~2020年の3年間というのは、

「異常干支」と呼ばれる特殊な時期で、

時代の変わり目になる特殊なエネルギーを

持っている、ということになっていました。

そう言われて想像するものとは、

全く異なる様相を呈した2020年でしたが、

時代の転換期になることは確実でしょう。

これだけのことが起こっておいて、

事態が収まったら元に戻るなんてことは、

まずあり得ないでしょうからね。

 

さて、そんな2020年ですが、

私にとってはどんな年だったかといえば、

仕事。とにかく仕事です。

今までにない仕事も増えて、

葛藤も、いろいろありました。。。

 

 

 

メインで携わっている案件が炎上し掛かった

(というかいささか燃えている)ことが、

とにかく仕事な一年となった原因なわけですが、

テストによってガンガン発見される不適合

(直さなければならない、

 仕様と異なるシステムの挙動)

とか、調査・検証しなければならないことを

整理して開発メンバー(若手社員3名)へ

振っていくという作業を9月からやっています。

燃えていますから、人員に対するタスク量が

かなり多い状況。ここで、

残業させることへの葛藤にぶち当たりました。

 

もともとこの案件は、「要件定義」という

システムにどういう機能を盛り込むかを

洗い出すフェーズを、上司と私の二人で

3カ月ほどやって、基本設計に入ったところから

ほかの社員メンバーが入ってきています。

かつ、開発規模に対して約半分を協力会社に

開発委託していて、その範囲の品質問題が

かなり影響して炎上している、という状況。

 

その中で、開発リーダーをしてきた私は

1月からずーっと一人で忙しくて、

ほかの人はせいぜい8月くらいから。

正直、こっちはずっと忙しいんだから

そろそろもっと働いてくれよ、

という気持ちがありました。

しかし同時に、

この子たちに今の状況を生んだ責任を

どれほど求めるべきなのだろうと考えたときに、

何故彼らが特例申請を出してまで残業しなければ

ならないのか?という疑問も湧いてきました。

そこから、残業っていったいなに?

そもそも仕事ってなに…?という根本まで

立ち返ってしまい、

しかも答えが全くでないという

藪の中へ分け入ってしまいました。

 

昭和の歌謡曲が好きで、

80年代のみゆきさんとか谷山さんのラジオを

ニコ動とかで大喜びで聴いている私は、

仕事に対する価値観も昭和寄りで、

やらなきゃならないもんはやるでしょう、

と言って、他人が作ったボロボロのプログラムを

夜な夜な直す、みたいな仕事を入社以来、

悪態吐きつつも進んでやってきました。

 

でも、それを人の心は理不尽に感じるのだ、

ということは、さんざんやってきた自分が

一番よくわかっているわけです。

それをさせているのだと思うと、

部下たちに極端な残業をさせる根拠が

打ち立てられなくなってしまって、

どうしていいのかが

わからなくなってしまったのです。

 

それでも、「時間がかかるのは彼らの

これまでの研鑽が足りないからだ」という

ことが言えれば、それで済ませられるのですが、

今度は「ではこの年次ではどれくらいできるのが

標準なのか?」という疑問にぶち当たり、

これまた答えがなくて困るわけです。

 

申し訳ないけれど、同じ年次の時の自分と比べて、

同程度と言える人は一人もおらず、

自分を基準にしてしまえば悪いのは

彼らということになります。

でも、自分はたまたま初めからチャレンジングな

仕事を担当してきたからで、

彼らが悪いのではなく当たった仕事の縁、

あとは指導のされ方の問題かもしれない、

でも自分はほぼ指導なんてされたことない…

みたいなことをグルグル考えて、

結局振った仕事のペースは彼らに任せて、

帳尻を自分で合わせる、というような

ところへ落ち着いてしまいました。

 

これを書いているまさに今の考えとしては、

途中からとはいえ、すでに1年弱

関わってきているのだから、

ある程度の責任は持ってもらって当然、

という考えに至っていますが、

人に仕事を振るって、誠実に考えようとすると

難しいですね・・・

 

 

 

そんな案件も、

2月の頭に本番リリースを迎えます。

何とか、旧システムへの切り戻しをせずに

乗り切れることを祈りつつの年越しです。

落ち着くのは春頃か、夏までかかるか・・・

その頃にコロナがおさまっていたら、

思いっきりやりたいことを

やろうと目論んでいます。

 

もともとは、谷山さんの地方コンサートに

行けるだけついて回ろうか、

なんて思っていたのですが、

乳がんを患ってしまわれたので、

いつ復帰されるか、

という状況になってしまいました。

代替案を考えつつ、早く元気になって

戻ってきて欲しいところです。

 

 

 

さて、この年の瀬の表題曲を

何にしようかと思って、

みゆきさんの曲目リストを

一通り眺めたのですが、

やはり今年ですと、

ランナーズ・ハイ」あたりが

ハマるのかなぁ、ということで選曲しました。

 

本来はマラソン選手に対して使う言葉ですが、

この歌では、

主人公がほかのすべてを犠牲にしながら

それでも歌い続ける様子、その理由を指して

ランナーズ・ハイに違いないわ」

と言っています。

 

私の印象ですが、この主人公は、

根本的では自分が歌い続ける理由を

「わかっていない」ように感じています。

なんで、愛も暮らしも犠牲にしてまでも

自分が歌い続けるのか、自分でもわかんないけど、

ランナーズ・ハイみたいなことに

なっちゃってるってことなんでしょうねぇ、

みたいな、

主観と客観の間みたいなところで

考えているのではないか。

 

私も自分のことを、働き方も昭和の価値観だと

先ほど述べましたし、

お客様に使ってもらうシステムを

中途半端なものにしたくないからとか、

いろいろ理由はつけられるんですけど、

根本のところは、

自分でもよくわからない気がしてます。

なんで自分は一人で

こんなに頑張ってるんだろうと。

わかっちゃったら、なーんだ、と言って

やめてしまいそうな気もするので、

わからないままで良いようにも思いますが。

 

 

 

今年も残すところあと数時間。

皆様、それぞれに事情のあることと思いますが、

どうぞよいお年を、お迎えくださいませ。

 

 

心は常に折れてる

副木(そえぎ)をあてて生きてゆく

継木(つぎき)を継いで生きてゆく

ランナーズ・ハイに違いないわ

 歌ったら停まらない

ランナーズ・ハイに違いないわ

 歌ったら停まらない

中島みゆきランナーズ・ハイ」

 

振り返りのススメ - 中島みゆき「旅人よ我に帰れ」

「日本人 睡眠」と検索窓に入力すれば、

やれ日本人の平均睡眠時間は世界ワースト1だの、

睡眠に悩みを抱えている人が何%だのと、

ネガティブな情報には事欠きませんが、

何を隠そう、いや何も隠せない。

私だって、比較的睡眠には難ありの身。

寝つきが悪い。途中で目覚める。

早く目覚めて二度寝できない。などの症状は、

職場の最年長の同僚と意気投合するありさま。

 

以前、スリープクリニックなるものに

通ってみたこともあるけれど、

初診時の血液検査で

「ストレスホルモンがこのくらい

 出てちゃあ寝れないね」

と言われた時点で、それじゃあ仕方ない、

と諦めモード。

確かに個人的に平和な時には

それなりに眠れているので、

心の平和を作ってくしかねーな、

と思いつつも、難しいのは明々白々。

悟りを目指して気長に続ける人生修行、

というわけであります。

 

 

一方で単純に、かなり遅くまで仕事をした日は、

脳が興奮しているためか、

床に就いてからしばらく寝付けない傾向にあり。

つい先日もそんな夜更けがあり、

何ともなしに、自分のブログを見返し始めました。

最初の記事の投稿からは、

まだ2年も経たないというのに、

なんだ、この生ぬるいぼけた文章は!

なんて思ったりして。

それもそのはず、書き始めた当初は、

好意を寄せた相手のブログに感化され、

ほわんと味わい深い文章を書きたいがため。

それが今は、

29歳の目標は「開」”(Twitterプロフィール)

とか言い出しており、

自分出してこーぜ! みたいなノリなので、

そう思うのも自分で納得がゆきます。

 

 

そんなことを考えていたら、

何故かふと、LINEの履歴が気になりました。

9年来、最も信頼している友人とは、

これまであまたの

身の上話をしてきた(身の下話も)。

LINEにも相当残っている気がする、と思って、

限界までトークをさかのぼってみると、

2013年の暮れごろでストップ。

卒論提出まであと半月なのに半分も書けていない、

などと喚く卒業間近のわたし。

これはなかなか面白そう。

 

・・・と、一瞬でも思った私が愚かだった。

出るわ出るわ、自分の恋愛ぐだぐだ話。

一気に読んでいるから余計かもしれないけれど、

これだけの話によく

付き合い続けてくれたな・・・と、

本人にはきちんと

感謝の念をお伝えしました(今更)。

 

 

 

さて、ほぼパーフェクトに記録された

自分の恋愛遍歴を辿っていくなかで、

一ヶ所、あれ?と思うところが。

その人とは6年くらい前に知り合ったのだけれど、

ふと思い出したようにちょっと仲良くしては

またしばらく間が空いて、という

間欠泉のような縁の人で、かつ一度振られている。

その人と一度会って、

その前後の間がだいぶ空いた、

今から3年半ほど前の頃の会話。

 

その時に彼と会った時のこと自体は、

かなりいろいろと憶えていて、

多少ヒドい扱いを受けたりもしたはず(笑)。

で、今の自分の記憶としては、その時に

「もうこっちから絡むのやめよー」と思った、

そこで一度彼のことは忘れた(単純な意味で)、

ということになっていました。

その後しばらくして、またちょっと縁が復活して、

そして振られて、という流れがあるわけですが、

それらはこの時の記憶も前提にあって、

自分の中に、

好意と同時に嫌悪も抱えているような、

なんともアンビバレントな恋愛をしました。

※余談ですが、彼と話す中で、この嫌悪が

 なくなっていきそうな予感とともに

 好意が高まり、しかし結局、

 いろいろと腑に落ちて嫌悪が薄まったのは

 振られた後だった、という経緯があり、

 これもいつか文章にしてみたいと思っています。

 

 

しかしこの親友へのLINEにおいては、

その出来事の数日後に、「だいぶ気になっている」

などと、明らかなる好意を表明していたんですね。

正直これがかなりの衝撃で。

だって、これを読んでもなお、その頃の気持ちが

まったく思い出せないんです。

ここの前提が崩れたからといって、

恋愛の結論とか、

今の関係は一切変わらないんですが、

でも当時の気持ちの根拠が

多少なりとも揺らぐとなれば、

後悔とも違う、

何処か間違った場所へ来てしまったような、

名状しがたい感覚にも襲われるというもの。

あの後自分から何か連絡をしたのだろうか?

だんだん気持ちが変わっていったのか?

一切何かを思い出せる気配もなく、

その日はそのまま眠りにつきました。

 

 

 

そもそも記憶というのは、

あまり当てにならない代物で、

自分の興味関心の強さで取捨選択されてしまうし、

後々の情報や経験で改ざんされてしまうもの。

とは言え、自分の人生を

すべて記録してくことは不可能だし、

記録したところで常に参照しながら

生きるのも非現実的で、

そういう頼りない記憶を頼りに、

自己を支えている。

 

しかし、時に立ち止まり、

自分自身を整理するに当たり、

こうした過去の自分自身の証言というのがあると、

記憶のねじ曲がりに

気付くことができるということを

身をもって体感しました。

 

人は自分の人生を物語のようにとらえ、

今の自分を規定する、ということについては、

このブログでも、

千野帽子さんの本を紹介したことがありますね。

記憶だけに頼っていると、

だんだんこの物語が事実とずれてきて、

間違ったことで自分の可能性を見誤ったり、

選択に失敗したりすることがあるかもしれません。

 

過去を「黒歴史」と呼んで、

いわゆる「ツイ消し」をしたり、

自ら過去の自分自身を

消していってしまう人もいますが、

過去はその人を確実に形作っていて、

その消去は不可能。

いつか時が経って、

冷静に距離を持って見られる日に賭けて、

消さずに取っておくことを、僕はお勧めしたい。

 

そんな思いを強くしながら、

今日も私は、軽い不眠と闘うのでした。

 

 

僕が貴女を識(し)らない様に

貴女も貴女を識(し)らない

古い記憶は 語り継がれて

捩(ね)じ曲げられることもある

 

中島みゆき「旅人よ我に帰れ」

やりたいことと、できることと。

もともとから、

友達が少ない方なのは確かだけれど、

「同じ試験を通った人」とか、

「歳が同じ」とか、

そういう枠の外での出会いが増えるに従い、

仲良くなれる人との出会いも

増えていったなぁ(微増)と思うので、

学校ってやっぱり

向いてなかったんだなぁと思う今日この頃。

 

 

しかし、学校という世界を出てからというもの、

そこそこ忙しい日々。

研修を除いて、本配属から先月までの

残業時間を平均してみたら、

33時間を少し超えるくらい。

こんなもんかな、と思ったけれど、

そういえば過去には月の半分

出張してた頃が1年強あって、

「管理者がいない」という理由で

定時勤務になってたりしたので、

実質はもっと多い。

まぁ、法的に誤りとは言えないみたいだし、

泊りの出張は手当やら

浮いた宿泊費で結構ホクホクで、

さらに残業代までもらうのは

少し気が引けたのでそこは気にしていない。

出張先はホテルの激戦区でしてね・・・笑

 

 

加えて、仕事関係の資格勉強が

必要だった時期もあるし、

一人遊びの趣味も人並みかそれ以上にあるし、

そのうえ途中で店子も始めちゃったりなんかして、

やりたいと思いつつできないことばっかり。

そんなこんなで、

人との縁もあまり大切にすることができず、

ここまで来てしまったなぁ・・・としみじみ。

かと言って、トロくて不器用な自分が

もっと時間を有効活用できたとも

あんまり思えないし、

無駄なことしてきたとも全く思わないので、

後悔はなくて。ないというか、できないというか。

つまり何が言いたいかというと、

これからはもっといろんな人と

仲良くしたいということなのです笑

このままの内向性では、

死ぬまでなりたい自分になれん!と

29歳、焦っております。

 

 

 

さて、愚痴っぽい話で始めてしまったので、

そろそろ本題へ。

 

 

 

今のお店で店子を始めたのは3年ちょっと前。

もともと憧れのあった仕事で、

お誘いをいただいたのをきっかけに

おっかなびっくりで身を投じ、

気が付けばこんなに続いてしまった。

とは言いつつも、

平均して月に1回を超えるかどうかの気まぐれ出勤。

そしてこのコロナ禍で、

今年は6回くらいしか入っていない。

 

仕事もお客様の名前もなかなかおぼえられないし、

思ったような接客なんか全然できなくて、

帰り道はいつも失意の底引き網。

もっとちゃんとお店入って勉強するか辞めるか、

どっちかにすれば?とは、自分でも思いつつも、

辞めたくない、でももっと入るのは無理、

というわがままで、マイペース絶賛継続中。

この辺のことは、昨年末にブログに書いていて、

お客様はそれぞれ違うものを求めてくるのだ、

ということに気が付いて、

少し気が楽になった、ということを書きました。

 

最近、そこからもう一歩先に進んだ感がありまして。

それが今回のタイトル、

「やりたいことと、できることと」は違う、という、

またもや当たり前田のクラッカー的事案なんですね。

 

 

僕は、お店に入るよう誘ってくれた

二人の先輩をこの上なく尊敬しています。

雲の上のような二人がいるおかげで、

いつかはこうなりたいと思って

辞めずに続けられている気がしています。

この二人は週4~5で入っているレギュラーで、

ボトルが入っているお客さんは

大体把握しているんですね。

だから、「合わせた会話」というのが、

当たり前にできる。

僕があこがれていた店子像というのは、

まさにそういうものでした。

でも、3年続けてみて、

もちろん仲良くなれたお客様もいるし、

自分が入る土曜日によく来てくださるお客様は

しっかり覚えているけれど、

月一回程度の入り方で、

「合わせた会話」というものへの到達が、

まったく見えてこない・・・

という自己採点でした。

しかし一方で、今年に入ってから、

昭和ババアキャラが

自分の中でかなりノッて来まして。

テンション高くわやくちゃに

中身のないことを喋り散らして、

それなりに満足して床につくことが、

できるようになったのです。

 

たいしてよそのお店へ飲みに出たわけでもなく、

どうしてこうなったのか、

自分でさっぱりわからない。

わからないけど、あ、自分、

できることをやりだしたな、と

これは後付けながら感じました。

結局3年弱、憧れの二人に近づくべく、

やりたいことを目指したけれど、

お客様と楽しい時間を過ごすべく、

自分にやれることはそれではなかった。

3年間お店に身を置いたからこそ

なのかもしれませんが、

自分の性格で、自分の持っているスキルで、

自分のお店への入り方・頻度で、

やるとしたらこうだろう、という方向へ、

舵を切った。

たぶんそんな感じなのです。

自分のことなのに、たぶんなのですが。

 

 

 

でね。最初の話題に戻るんですよ。

店子として感じた

「やりたいことと、やれることは違うんだな」が、

自分の生活全般に向けられ始めたんです。

この生活の範囲の中でやれることって

どこまでなんだろう。

自分の身体と生活をもってしてやれることって、

何なんだろう。

発想がそちらに向くようになったんですね。

この現象が面白くて、

この文章を書く気になったわけです。

残業時間の平均を出してみたのも、

この発想から来ていますのでね。

 

ただし。現状を変えようのない限界と考えて

パズルをするばかりではなく。

今できることに満足がいかないなら、

現状を変えるという方法も念頭にある。

果たして、月残業時間平均が

これだけあるような職場に居続けて、

しかもその仕事はたいして

やりたいことでもなくて、

その範囲でできることをやる人生は、

満足なのだろうか・・・?

『性的に男性同士の接触がある人も多い。』

Buzzfeedの岩永直子さんが、

厚労省クラスター対策班の西浦博教授に

インタビューを行った記事が丁寧で、

ありがたい情報発信だと思います。

 

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-nishiura

 

 

 

さて、この記事の中に、以下の記述があります。

 

 

現状の都内のデータを見ていると、

まだ一般の人には広がっていません。

これは表には出ていないかもしれませんが、

感染経路が不明となっている感染者は

増えていますが、

経路がわかっているところは、

ほとんど病院かデイケア施設です。

デイケア施設は危ないです。

高齢者が感染すると重症になり、

重症のベッドが必要になります。

若者が飲み会で、ふざけたキスで

うつったなんてケースでは、軽症で済みます。

それ以外の方も、港区の繁華街などに

集積した感染者ばかりです。

性的に男性同士の接触がある人も多い。

(コロナ対策などのため職場での勤務が続く)

公務員もです。厚労省で一人出ました。

他の省庁でも勤務やサービスの

続いているところでは感染者が出ました。

クラスターが外国人から病院や夜の街にうつり、

一般市民に少しずつ忍び寄っています。

でも、まだみなさん一般の人に

広がっているわけではないです。

ただ夜の街で遊んだ上司がいる会社員、

というような形で、一般にも

広がり始めているのは間違いないです。

 

 

『性的に男性同士の~人も多い』について、

これは差別だ、いや差別ではないといった議論が

出てきています。状況が状況ですので、

差別だとする主張はそれほど強くはなく、

抑制的な議論に収まっています。

 

そのこと自体は良いことだと思いますが、

せっかくの良い機会なので、

こうした発言と議論に対しどう考えるか、

自分なりにまとめてみようと思います。

 

--------------------

 

まず、この発言が差別的意図を持つか。

実は、これを事実と呼べるかどうかは

再考の余地があると思っていますが(※1)、

そしてそれは重要なポイントだと思いますが、

たとえこれが事実であってもなくても、

差別的意図を汲み取ることは端的に

誤りと言ってよいはずです。

この記事上では、一般という単語に

過剰に反応する理由が見当たらないからです。

この記事の公開後、西浦先生は、

誤解を与える表現だったと謝罪を

ツイートしていますので、

まずこれは疑う必要がなさそうです。

 

 

では、発信者の意図とは別に、

この発言が差別を助長するかどうか。

これは、残念ながら可能性として

存在する、と言うしかないと思います。

これは、ゲイというカテゴリが

性と結びついていることと、

性と道徳が結びついていることが

大きく影響する問題です。

 

性的に男性同士の接触がある人の感染が多い、

という記述(あるいは事実)のみからは、

その原因となる感染経路を断定

することはできません。(※2)

しかし、このカテゴリ分けが

男同士の性的接触がある、

という特徴を元にしている

(これは正確な表現ではありませんが)

以上、性的接触が主な感染経路という

想像を惹起することは避けられないでしょう。

 

もともと、性的接触が「多い」

「不特定多数」である、ということは、

不道徳とされやすい。

感染症と結びついたとき、更に強化される。

 

何がまずいかというと、

ゲイは性に放埓で不道徳だ、という

素朴な差別が生まれることに加えて、

それを当事者たちも含めて内面化し、

「発展場とかクラブのエロ系イベントとか、

 リアルして不特定多数と性的接触を持つとか、

 そういう自分たちが悪い」という方向へ

進んでいってしまうことがまずい。

こうなると当事者の側には、

①自分は抑制的に振る舞うから該当しない。

 しかしゲイにはダメな奴らが一定数いて、

 だからゲイは差別されるし、されて当然

というスタンスや、

②どうせ我々は差別されているのだから、

 ダメな奴らとして好きにやれば良い。

というスタンスが生まれる。

①も②も、自分たちを苦しめる結果となる。

差別されないためには道徳的でなければ

いけないということになるからです。

それは明らかに、不均衡で不公平であり、

差別の強化を意味します。(※3)

 

 

 

じゃあどうしたら良いのか。

それが簡単にわかるようなら、

この問題ははるか昔にもっとたやすく

解決されていたことでしょう。

しかし確かなのは、

こうした「差別を助長するかもしれない発言」を

その都度攻撃することでは

解決には至らないということです。

この発言が、差別を助長しないような

社会状況、人々の共通理解を作っていく、

それしかないのではないか、と思います。

 

 

我々当事者の中においては

いわゆる「寝た子を起こすな」的な主張も

よく見られます。だいたいは、

活動家のせいでイメージが悪くなっている、

静かにしていれば今の一番心地よい状況を

保てるのだ、みたいな主張です。

 

気持ちは非常によくわかります。

隠れている分、世間的には倫理的でないと

されるようなことも、比較的自由にできるし。

 

しかし、初めからずっと隠れたままでいたら、

今の状況はなく、もっと差別は強かったでしょう。

発信してきた人がいたから、

今ある一定の(社会における)居心地があります。

 

そして、今は、まだまだ隠されている状況。

親しい人間関係の中に同性愛者がいる、

という人は、日本ではそう多くないでしょう。

きっかけがあれば、バックラッシュ

簡単に起きる社会だと言って良いと思います。

そして、もうバックラッシュは起きないだろう、

と言える社会は、近いうちには来ないでしょう。

来ても、それが永久に続くわけでもないでしょう。

 

そういう前提のもとに、今だけではなく、

自分たちの未来や、次世代以降のことを考えたい。

 

 

 

ちなみに件の記事で議論が起きたことに関しては、

気を付けるべきは西浦さんではなく、

記者である岩永さんだったと思います。

それぞれが何のプロなのかを考えれば、

それは自明なことだと思います。

 

 

ちなみに西浦先生は、

都知事の会見で一目見た時からファンです。

個人的な趣味によるものです。

応援していきたいと思います。

 

 

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※1

男性総人口のうち、

同性との性的接触ある人の割合が

どれくらいなのか、

正確な数値はわかっていないはずです。

しかし「多い」と言うからには、

この(不明な)比率と比べて、

有意に高い割合で感染者が存在する、という

ことでなければなりません。

 もし、総人口に占める割合と

比率が変わらないのに「多い」と

言ってしまっている場合、

そこにこそ、「ゲイ」というレッテルの

厄介さがある、と言えるでしょう。

ただし、明らかに複数の発展場で

クラスターが発生したというのであれば、

「発展場でクラスターが発生している」

と言いづらく(一般的用語でない、生々しい)、

こうした表現になるのはうなずけます。

 

 

※2

ゲイ・コミュニティという言葉がある通り、

ゲイ同士が集うコミュニティと言えば

ゲイバー・クラブ・発展場など、

感染症が広がりやすい場が思いつくのは

特徴的だと思います。

また、ゲイバーはその成り立ちから

料金が安く、その延長として、

「回遊」という文化もあります。

(一晩で数件のバーを巡る楽しみ方)

いわゆる「スーパースプレッダー」が

感染を引き起こしやすいと想像されます。

原因となり得るのは

性的接触ばかりではないはずです。

 

※3

ゲイがノンケと比べて性的に活発である、

という事実があったときに、

その原因をゲイの倫理観に直結させるのは

思考停止に近いと思います。

同じ6名でも、ノンケなら男女3:3で

組み合わせとしては3×3=9通り、

ゲイなら男6で、6×5÷2で15通り、

という、同規模のコミュニティの中での

可能な組み合わせの多さ。

あるいは、社会的な抑圧がメンタリティに

与える影響。などなど、

考察すべき要因はいくらもあります。

良いお年をお迎えください 2nd. - 中島みゆき「問題集」

令和元年が終わろうとしております。

個人的に今年は、秋になるとともに、

それこそカチリと音がするかのように

日々の流れが変わった年でした。

 

本職の方では、配属以来のお客様と並行で

別のお客様の仕事がようやく始まり、

新しい上司とふたり、初めての業務。

出張先で上司と飲みながらする話は、

半分が食べ物の話、残りは上司の過去の趣味、

登山やカメラ、天体観測、アニメ…

仲良くなれている証拠なのか、

ほらこれ、と、アニメの主題歌を

イヤフォンを片耳渡されて一緒に聴くという

BL的展開??にまで発展する始末。

 

…いやあの、仕事は仕事でちゃんと、

まぁまぁ忙しくやっております。

 

 

夜の仕事(ゲイバー)の方も、

今まで平均月1回も入っていなかったところ

準レギュラー程度には入るようにし、

日々、勉強させてもらっています。

 

 

 

バーでのバイトを始めてから、

年数ばかりかさんでしまい、

気付けばもう2年半を超えました。

入店初期は何が何だかわからないまま

目の前のことをひたすらこなすだけ。

余計なことを考える余裕のなかった頃が

少し懐かしく思われます。

 

出張によるブランクも挟みつつ、

一通りの仕事に慣れたのは、

一年ほど経ったころでしょうか。

カウンターの中にいても

冷静でいられるようになると、

自分ってどうなの??というのは

やっぱり考えてしまうわけで。

お客様から頂いているお金分の価値を

自分に提供できているとは到底思えず、

人が全く足りていない時以外は

入るのを控えていた時期もありました。

 

それでも諦めることはできず、

少しずつながら続けて来たおかげで、

今年の後半からどこか吹っ切れて、

今に至るわけでございます。

 

そんな中で、最近ようやく

気付いたことが一つあります。

お客様がお店に求めていることは、

それぞれ違うのだ、という、

なんとも平凡な、当たり前のことです。

 

きっかけは、お店のお客さんと仲良くなって

プライベートでご飯に行く待ち合わせの時。

仕事モードだね、と驚かれたことでした。

お店のスタッフは昼の仕事も持っている

兼業の方が多いのですが、

お店で見ている限り、スタッフ誰も

まともに仕事をしている想像ができない、

というその人の言葉、確かにね~と

ひとしきり笑わせてもらったのですが、

なんとなくそれが心に残りました。

その後、営業中にのっけからハイテンションで

お客様がはしゃいでいるのを見ていて、

この人だって昼間は真面目に

仕事をしているわけだよなぁと想像して、

今この人にとってはこれがお店モードであって、

これがしたくてこの人お店に来てるんだよなぁ、

と思い至りました。

 

お客様みんなそれぞれが、

ゲイバーという特殊な場でこそなれる

自分になってストレスを発散したり、

欲望を発露したり、悩みを打ち明けてみたり。

もちろん、普段と地続きのまま

来てくださる方もいらっしゃるのでしょうけど。

 

ここに気づいたことには二つの効用があって、

一つは、「お店ではこう振舞わなければ」という

気負いがなくなったこと。

自分は普段から話を「聞く」ことを是としていて、

できるだけいろんな(深い)話を

聴いてあげなければという思いがあって、

それがなかなかうまくできなくて、

よく落ち込んだけれど、

それよりも、その人がやりたいことに

お付き合いをする、

それが話を聴いてもらうことなら、

聴いてあげればよい、というように

転換できたこと。

 

もう一つは、ハチャメチャに見えるお客様も

普段の過ごし方からそうとは限らない、と

思うことで、そのしっちゃかめっちゃかさに

あまり気後れしなくなったこと。

「そういう人だ」と思うとキツいけど、

「そういう遊びだ」と思うと付き合える。

そうか、店子ってお客様と遊ぶお仕事なのか!

という新解釈で、お店に入らせてもらってます。

 

 

 

今年も、恐らく人によっては、

「そんなこと当たり前でしょ!」と思うような

ごくごく普通なことに、

いくつも気付いた一年でした。

来年は一つくらい、人が気付かないようなことに

気付けたら良いなぁ~、と思ったりもしますが、

そんなところで躓いているの?

というようなことに、

いっぱいつまずいておりますので、

まだまだ、当たり前のことを

一つ一つ片付けていかなければならないかな。

 

 

というわけで、

今年も一年ありがとうございました。

令和二年もどうぞ、

よろしくお願いいたします。

 

 

あなたの問題集は 私にはたやすく見える

私の問題集は あなたにはたやすく見える

取り替えてみたい気がする

答合わせには まだ遠い先のことらしい

1問も解けないうちに

問題ばかりが降って来る

・・・

明日には わかるようになるかな

今夜には わかるようになるかな

もうまもなく わかるようになるかな

もうまもなく わかるようになるかな

 

中島みゆき「問題集」